市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第26回

レベッカが“国産ロック”にもたらしたもの 市川哲史が再結成ライブから振り返る

 8月12・13日のレベッカ20年ぶりの再結成ライヴ《Yesterday,Today,Maybe Tomorrow》@横浜アリーナは、両日ともに予想通りの大盛況だった。

 ヴィジュアル的にはNOKKOの若干<山田信子(51歳)化>が見え隠れしたものの、それは自然の摂理だ。それでもライヴ定番曲「76th STAR」ではダンサー2人を従えダンスを披露するなど、元祖<負けず嫌い女子>の底意地は健在だったのだから、積極的に赦せ。

 また土橋安騎夫・高橋教之・小田原豊とそもそも達者なメンバー揃いなこともあり、計3万人分の思春期でアリーナが溢れかえる絶対条件は揃っていた。そして「フレンズ」やら「RASPBERRY DREAM」やら「LONLEY BUTTERFLY」やら「MOON」やらを、一緒に唄いながら涙ぐむ<20年後のパパとママ>の姿が、会場のあちこちで見受けられた。

 11月の追加公演@さいたまスーパーアリーナもきっと、同様の光景だらけとなるのだろう。

 1984年デビュー。1991年解散。

 85年10月発表の4thシングル「フレンズ」オリコン3位の大ヒットを機に、バンドブーム黎明期に天井知らずの人気を博し、以降日本のロックで初のミリオンセールス――130万枚を記録したアルバム『REBECCAⅣ~Maybe Tomorrow~』を筆頭に、出すアルバム全てが80万枚以上を売り上げた。

 また、<ライヴハウス→ホール→武道館→ドーム>というロックバンドの定番出世双六を実践確立したのも、アマチュア高校生を中心にコピー・バンドが続出するというその後の空前のバンドブームの導火線に着火したのも、レベッカだ。

 要は90年代以降における日本のロックの隆盛を、BOφWYとともに全ての面で先導した「歴史的」なバンドなのだから、再結成は当然の大盛況だったわけだ。

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