磯部涼×中矢俊一郎「時事オト通信」第2回(後編)

日本語ラップとナショナリズム “不良映画”から読み解く思想の変化とは?

中矢「般若が『オレ達の大和』というサポート・ソングをつくったことは、日本のラップ・ミュージックにおけるナショナリズムの表面化と受け取られる節があった」

中矢:そういえば、窪塚に『凶気の桜』を薦めたのは藤原ヒロシだそうですね。

磯部:うん。藤原ヒロシのパブリック・イメージからすると妙に思えるかもしれないけど、彼の評伝『丘の上のパンク』(川勝正幸編著、小学館、09年)に、渡辺祐の(80年代の藤原ヒロシが)「遊びに敏感でありながら、チェルノブイリの原発事故とその背景を告発した広瀬隆『危険な話』(87)だとか、奥崎謙三のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(87)だとか、そういう痛いカルチャーにも敏感だったってことが、意外だった」という証言が載っているように、藤原は『凶気の桜』も“痛いカルチャー”として消費したってことなのかもしれない。映画『凶気の桜』にしても、「実を言うとね、まだ途中までしか観てないんだ」(『HUGE』02年 10月号より)と判断を保留しているしね。一方、窪塚は同作品に、ある種の切迫感をもってのめり込んでいった。中島岳志は「窪塚洋介と平成ネオ・ナショナリズムはどこへ行くのか」(『論座』06年1月号初出)という論考で、80年代のネタとしてのナショナリズムと、90年代後半以降の自分探しとしてのナショナリズムの違いについて書いているけど、藤原と窪塚の違いもまさにそれなんじゃないかな。
 
 ちなみに、K-DUBが自伝『渋谷のドン』(講談社、07年)において、『凶気の桜』の原作を窪塚に紹介したのが藤原だったことについて、「なんとも皮肉な話」と評しているのも興味深い。同書には「1980年代後半から世界中で隆盛していったヒップホップだが、果たして日本はどうだったか。藤原ヒロシや近田春夫、いとうせいこうら、ロンドン経由の軟弱なアパレル系のものしかなく、それはファッションのひとつとして紹介された。/オレはタフでハードなヒップホップがやりたかった」とも書いてあるように、K-DUBもまた、80年代の“ネタとしての”ヒップホップに対する反動で、自身のキャリアをスタートさせたからね。あるいは、同時期、藤原の直系であるスチャダラパーは、アメリカのゲットーを、日本の消費社会へと置き換えて、そのリアリティをラップしていたわけだけど、K-DUBはよりオーセンティックな志向を持っていた。だからこそ、最初は、アメリカに渡って、英語でラップをする。しかし、「ある日のこと、黒人の友だちから“なぜ、おまえは日本語でラップをやらないんだ”と言われた。その日からオレは、日本語ラップの可能性を考え始めるようになる」(『渋谷のドン』より)。

 また、『ZEEBRA自伝』(ぴあ、08年)にも、藤原ヒロシが参加していたレーベル<メジャー・フォース>を始めとする黎明期の日本語ラップに対して「違和感を感じてしまった。/自分のやりたいものとはちょっと違う。向こうのとっぽいヤツらとは確実に雰囲気が違う」という一文がある。そして、彼も英語でラップを始め、ただ、それを探求する内に、他でもないラップによって、自身のアイデンティティと向き合わされることになる。「一時期、黒人になりたくて、しょうがなかった。/もちろん、無理なんだけどさ」「どんなに向こうの音楽を聴いても、近づけないことはあった。例えば、アフロセントリズム(引用者注:アフリカ中心主義。ZEEBRAがラップを始めた80年代末に、ヒップホップ・シーンでブームになった)に影響を受けて、バック・トゥ・アフリカ的な意識を持ったとしても、オレらがアフリカに帰るわけにはいかない。/オレらの帰るところはどこなんだろう?」「そこから、自分のルーツが気になりだした。/戦争のこと。/アメリカがオレらの憲法を作ったこと。/日本人としての権利はなんだろうって。/アメリカにいいようにされたわけじゃん?/でもオレはアメリカのカルチャーが大好きだし、ヒップホップ大好きなんだ。/肯定と否定。/大好きと嫌い。/微妙な思いが自分の中にある。/どう消化していくか。どう判断していくか。/オレにとっては日本語ラップをやり始めたことが最終的には一番デカかった。リリックを作る上で、日本人の意識みたいなところと直面せざるをえない。/自身のアイデンティティがわからなくて、混乱したりもした。日本人がヒップホップやるって、どういうことなんだろうって」(『ZEEBRA自伝』より)……というふうにね。

 そして、ZEEBRAは、当時のアメリカの黒人ラッパーたちが、世界を白人社会と非・白人社会に分けて考え、日本人のことも“エイジアティック・ブラックマン”と呼んで黒人側に分類していることを知り、“ZEEBRA”という名前を思いつく。「今の日本のカルチャーって、遡っていけば、アメリカのGHQのもとで土台が作られたと言っても過言ではないと思う。つまりホワイト・アメリカの中に育ってきてるんだけど、体の内側からはブラックネスが滲み出てきてしまう。/白く生かされている中から黒が出てくる。/それがオレなんじゃないか」(同上)。要するに、自分には白と黒、両方の要素があるから“ZEEBRA=シマウマ”だと。そんなこんなで、ZEEBRAやK-DUBは、ヒップホップに“反米”の側面――アメリカの主流である白人社会に対して反する側面を見出し、それによって、彼らの中で“反米”と“親米”が共存出来るようになったと。

 あるいは、ZEEBRAやK-DUBがこじらせたナショナリズムは、90年代後半までは、日本語でラップをするという方法論を構築することや、シーンを大きくしようと努力することで発散されていた。ただ、それが一段落して、再びアイデンティティを模索していた頃に、<新しい歴史教科書をつくる会>(96年~)や小林よしのりの『戦争論』(98年~)のようないわゆるネオ・ナショナリズムが登場して、彼らはモロに影響を受ける。そして、K-DUBが「日出ずる処」(00年の『生きる』収録)みたいな愛国ラップを歌い出したり、ZEEBRAが小林よしのりの『わしズム』(VOL.1、02年4月)に登場したり、彼らを尊敬する窪塚が映画『凶気の桜』をつくったり、日本のラップ・ミュージックにおいてナショナリズムが表面化していったように思うんだよな。

中矢:『凶気の桜』の少し後になりますが、戦艦大和の最後を描いた映画『男たちの大和/YAMATO』(05年)のために、般若が「オレ達の大和」というサポート・ソングをつくったこともありましたね。あれも、日本のラップ・ミュージックにおけるナショナリズムの表面化と受け取られる節があったように思います。

磯部:ただ、『男たちの大和』について、監督の佐藤純彌は反戦の意図があったと言っている。そもそも、彼のデビュー作は軍隊内の狂気と暴力をテーマにした『陸軍残虐物語』(63年)だし。『男たちの大和』にしても、大和が完膚なきまでに叩きのめされる様子を徹底的に描いた後半はスラッシャー・ムーヴィーさながらでげんなりするし、確かにあれを観て好戦意欲を持つひとはいないだろうね。

 余談だけど、佐藤純彌の『人間の証明』(77年)で助監督を務めた葛井克亮は、同作品のロケでニューヨークに渡った際にヒップホップ・カルチャーを目の当たりにして衝撃を受け、その後、映画『ワイルド・スタイル』(83年)に出演していたラッパー、DJ、ブレイクダンサー、グラフィティ・ライターによる日本ツアーをオーガナイズする。それが黎明期の日本のヒップホップ・シーンに大きな影響を与えたというのは有名な話で、だから、強引に言えば、佐藤純彌のおかげで今の日本のラップ・ミュージックがあるということになる。そして、彼は『男たちの大和』で、再びこのジャンルと接点を持ったと。

 そして、般若の「オレ達の大和」がどんな曲かと言うと、あれも、あくまでも政治に振り回されて理不尽に死んで行く大衆の視点に立ったもので、決して単純なナショナリズムの発露ではないと思うんだ。一方、大和のあまりにもな負けっぷりにげんなりしたところにエンドロールで流れてくる長渕剛の「CLOSE YOUR EYES」は、「それでも この国を/たまらなく 愛しているから」って歌い出しが象徴するように、映画をナショナリズムの方向に調整する役割を果たしていると言える。

 それと、『男たちの大和』における「太平洋戦争の悲惨さの象徴として記号化されてきた戦艦大和をもっと生々しく描きたい」というコンセプトが、当時の日本で存在感を増していた歴史修正主義とリンクしていたのも間違いないだろうね。そして、そういった傾向は例えば特攻隊をモチーフにした映画『永遠の0』(原作・百田尚樹、監督・山崎貴、2013年)に引き継がれ、過剰化する。

 もちろん、『永遠の0』も“海軍航空隊一の臆病者”と呼ばれ、部下にも“死ぬな”と言い続けたというパイロット・宮部久蔵の実像を探る物語で、原作者の百田も(自分は同作品で)「特攻を断固否定した」(参照)とツイートしているし、監督の山崎も「ぼくは、今回、“右”とか“左”とかに傾かないような映画をつくりたいなという思いがあって」(参照)と述べている。しかし、物語は、宮部の実像が明らかになるに従って、「彼は死ぬのが怖かったわけではなかった」というような結論に向かっていく。そして、映画は、宮部の乗った0戦が特攻に成功する寸前のシーンで終わる。これは、やっぱり、戦後リベラル的な価値観が残っていた『男たちの大和』とはまったく違う類いの映画だと思うな。

 ちなみに、『永遠の0』のエンドロールで流れるのはサザンオールスターズの「蛍」。シングルのリード・トラックである「ピースとハイライト」は、日中韓に対して対話を促すメッセージ・ソングで、リベラル層からも賞賛されたけど、そのカップリングが0戦をああいうふうに描き、むしろ、東アジアの緊張を煽るようなタイプの映画の主題歌だったというのは、かなり、分裂しているよね。

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