『ポスト「J-POP」の時代——激変する音楽地図とクリエイションのゆくえ』一部を紹介

水野良樹×kz×柴那典×宇野常寛の「J-POPの現在と未来」徹底討議 フルバージョンが電子書籍化

コミュニティ・ミュージックの可能性と限界

水野:西野カナさんのような、ある一定層だけに特化したコミュニティ・ミュージックを否定する気は全くないんです。むしろ僕は西野カナさんを素晴らしいと思っている。西野カナさんが相手にする女性には「会いたくて会いたくて震える」という言葉が共感できる感情表現として最も適しているんですよね。それを「あんな平たい歌詞じゃだめだよ」と言ったって、トンチンカンな話になってしまう。ああいうコミュニティ・ミュージックが沢山あることは素晴らしいと思うんです。

 ただ、このようなコミュニティ・ミュージックというのは、メジャーという存在があってこそ成立しているものなんですね。モンゴル800のようなインディーズも、歌謡曲の時代のフォークソングも、一方にメジャーなものがあるからこそ、そこに対してのカウンターカルチャーとしてのマイノリティとして存在していたわけです。

 でも今は、どっちも崩れていった。全てのコミュニティに音楽を届けようと思ったときに、そういうコミュニティ・ミュージックに特化した方法では限界があるというふうに思うんですね。

柴:水野さんの言うコミュニティ・ミュージックは今日のキーワードですね。インターネット・カルチャーにしてもそうだと思うんです。

 インターネットの普及によって、趣味の近い濃い集まりを作ることができるようになった。それまでは地縁、つまりクラスが一緒とか地元の友達とか、そういう繋がりで結びつくしかなかった人が、趣味で繋がることができるようになった。そうするとコミュニティの内部は、どんどん濃く盛り上がっていけるようになる。

 これを良しとするか、悪しとするかというのは、大きなテーマだと思うんです。僕はどっちの立場もありうると思っています。まず良い面としては、濃いコミュニティから面白いものがでてくる可能性が高い。よく「J-POPのガラパゴス化」ということが言われるんですが、それは小さくて濃いコミュニティが点在していて、そこで受けいれられる表現が沢山出てきてくるゆえだと思います。

 たとえばヲタ芸もそうだし、V系の「咲き」もそうですよね。独特の動きが受けいれられている。一歩引いた目で見るとよくわからないものが、その場所においてはポピュラリティをもって成立している。僕個人はそれは良いものだと思っているんですが、みなさんはいかがですか?

kz:どっちがいいのかっていうのは難しい問題ですよね。もちろん、濃い人たちが集まると面白いものが生まれるというのはある。薄いものを煮詰めても薄いものは薄いままなので、そういうコミュニティがあるのは良いなと思うんです。

 ただ一方で、それが自分が好きなもの以外を良しとしないコミュニティの在り方に繋がってしまうのが大きな問題だと思います。たとえばボーカロイドしか聴かない小中学生とか、アニメしか見ない人たちとか。自分の好きなものに特化するのは素晴らしいことだと思いますが、なぜそこで閉じてしまうのか僕には全然理解ができない。それに、そういう人は大抵戦いたがりますよね?

柴:アンチと信者の戦いみたいな?

kz:そう。エンターテインメントは楽しむものなのに、何故かみんな戦ってしまう。そこはすごく残念に思いますね。

宇野:コミュニティをどう開くのかというのは重要なポイントだと思いますね。たとえばkzさんの『Tell Your World』がなぜグローバルに開かれているかというと、それはボーカロイドについて歌っているからだと思うんですね。ボーカロイドというのは、この10年で世界中の人間に起こった情報技術の変化を象徴している。だからボーカロイドについて歌うと、この何十年かで人類社会に起こった人間と情報の関係の変化を歌うことになる。言ってみればあの曲でkzさんはある時期までの初音ミクの物語を総括して終わらせてしまっているんですよ。だからこそ力をもった曲になったと僕は思います。

 コミュニティを開くと言ったときには、何に対して開くかという対象がなければいけない。kzというアーティストは人間とテクノロジーとの関係というすごく大きなテーマをあの曲に凝縮した。

 しかし、kzさんによる「総括」があのタイミングでなければいけなかったことが示すように、ボーカロイドというものは今や僕達にとって「当たり前」の情報環境になってしまったし、ボーカロイドが象徴する情報技術のインパクトも普及したがゆえにインパクトをもたなくなった。

 だから、その後ボカロシーンは拡散に向かってしまったんですよね。コミュニティの内側に開き直る方向に向かっていった。初音ミクの物語をkzが終わらせてしまった以上は、同じことはもうやれない。

 その時にどうするのか。数年前にkzはテクノロジーというテーマで開いていった。そこは今、他に何が残されているのか。

kz:あの曲を作って以来、ボーカロイドを使って音楽を作り続けてはいるんですが、僕にしてみると、ドラゴンボールでいうところの魔人ブウ編みたいな感じなんですよね。編集さんに続けてくださいと言われてやっているような状態で。

宇野:なるほど、もう終わってしまっている。

kz:もちろん、続けるのがイヤだというわけじゃないんですけれど、もう一つの物語が終わってしまっているんですよね。それに、今の状況はあまりにも拡散し過ぎていて、手に負えなくなっている。ギリギリ一人の人間に負えたのが2011年のあのタイミングまでだった。その後は、もう僕だけでは背負えるようなものではなくなっていると思います。

(続きは電子書籍で)

■書籍情報
水野良樹(いきものがかり)、kz(livetune)、柴那典、宇野常寛
『ポストJ-POPの時代——激変する音楽地図とクリエイションのゆくえ』
Kindle 購入価格:¥499

【目次】
・「大衆」という言葉の変化
・J-POPの黄金時代は何故成立しなくなったのか
・共感から参加へ
・ハッキングされたオリコンチャート
・オリンピックのテーマ曲はどう機能したか
・コミュニティ・ミュージックの可能性と限界
・コミュニティを繋げるものは
・プラットフォームを作る「場」としての音楽
・J-POPとグローバルポップ
・J-POPの武器としてのキャラクター性
・偶然性の回路を取り戻す
・今、音楽が戦わなければならない相手は何か
・音楽に参加する仕組みを形作る
・いま改めて、J-POPの「世界進出」の可能性を問う

【執筆者プロフィール】
■水野良樹(みずの・よしき)
82年生まれ。神奈川県出身。3人組音楽グループ「いきものがかり」のギター、リーダーを担当。『ありがとう』、『風が吹いている』をはじめ、数多くの楽曲で作詞・作曲を手がける。

■kz(livetune)(ケーゼット(ライブチューン))
音楽プロデューサー/DJとして活動。ソロプロジェクトlivetuneとしても活動しており、Google Chromeと初音ミクのコラボレーションで話題になったCM楽曲「Tell Your World」を始め、初音ミクを使用した楽曲を多数制作。また最近ではSEKAI NO OWARIのボーカリストFukaseやゴールデンボンバーの鬼龍院 翔などリアルボーカリストを迎えたアルバム「と」をリリース。そして2014年10月よりJ-WAVE 81.3 FM RADIOの新番組「SPARK」にて火曜日のナビゲーターを務めている。

■柴那典(しば・とものり)
76 年生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。 音楽やカルチャー分野を中心にフリーで活動。「ナタリー」「リアルサウンド」「サイゾー」「MUSICA」など数々のウェブメディア・雑誌媒体でインタビュー・記事執筆を手掛ける。初の単著『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)を2014年4月に発売。

■宇野常寛(うの・つねひろ) 1978年生。評論家/批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『原子爆弾とジョーカーなき世界』(メディアファクトリー)など。

発売URL:http://www.amazon.co.jp/dp/B00PCUN0NM

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