ドキュメンタリー映画『あっちゃん』インタビュー
ニューロティカ・あっちゃんが語る、バンド活動30年「文化祭の延長みたいな感じでやってきた」
あっちゃん「いつかパンクに殴られるんだろうなって覚悟はあった」
ーー映画では過去のことなどもたくさん語っているそうですね。
ナリオ:あっちゃんが当時の回想をして「あの時メンバーが辞めたのはこういう理由だった」とか真相を話しているんですが、メンバーの修豚さんとかジャッキーさんに話を聞くと、みんな言うことが全然違かったりするから驚きますよ。
あっちゃん:正直、何で辞めたか知らないんだよな(笑)。ただ、前のメンバーと一緒にやっていた10年というのは確実にその後の財産になっていて、初期のニューロティカを好きでいてくれた連中ーーPOTSHOTとかロリータ18号が、客が入らない時期を助けてくれたりもした。ありがたいことだよね。
ーー初期の頃だと、オムニバスアルバムの『Oi of Japan』とか、ソノシートでリリースした『Go or Stop!』などが印象的でした。
あっちゃん:TAMさん(THE STALINのギタリストで80年代にハードコアパンクを中心にリリースしていたレーベルADKの主催者)がすごく忙しい時期で、でも気に入ってくれて「ADKでは出せないけど、プロデュースするから自分達で出しなよ」って言ってくれたんだよね。で、高校の後輩のバンド「我殺」と自分達のレーベル「ネオファミリー」を作ってソノシートを出したんだ。85年の頃だね。その後、90年にコロンビアからメジャーデビューして6枚くらいCDを出して、契約が切れた後はPOTSHOTのレーベルのUKプロジェクトとか、175RのレーベルのLimited Recordsとかにお世話になった。で、2005年からは自分たちでレーベルをやり始めて、もう10年近く経っている。
ーーピエロのメイクはいつから?
あっちゃん:バンド初めて4年目ぐらいかな? ロフトの『ネオファミリー大作戦』の1回目で、みんなに内緒で階段の上でスタッフの女の子にメイクしてもらって、下降りて行ったらみんなビックリして、そのままステージ上がってお客さんもビックリして(笑)。
ーーニューロティカはけっこう、ショッキングなバンドでしたよ。パンクなのに楽しいというのは、メジャーにもアンダーグラウンドにもいなかった存在。
ナリオ:当時のライブハウスはちょっと怖い場所だったのに、ピエロですからね(笑)。
あっちゃん:あっはっはっは。でもある程度、覚悟はあったよ。いつかパンクに殴られるんだろうなって。「このピエロ、チャラチャラしやがって」みたいな感じで(笑)。バンドマンはみんな知り合いだから良いけど、市ヶ谷の法政でやっててモヒカンがステージに飛んで来た時は「こりゃ殴られるかな」って思った。でも、不思議とそういうことは今までなかったね。
ーーなんでピエロだったんですか?
あっちゃん:俺は髪の毛をうまく立たせられなかったんですよ。しかも革ジャンも持って無くて、どうしたらインパクトがあるかなって考えてた。で、たまたま家でお菓子を陳列してる時に「三角ハット」っていうウエハースに砂糖をまぶしたお菓子のパッケージにピエロが描いてあって「あ、これだ!」って閃いたんだよね。そして、いつも来てくれる洋服の専門学校に行っている女の子に「ピエロやりたいんだけど」って言ったら、その子が衣装を作ってくれた。ただ、ライブハウスが怖かった時代に育ったので、俺がピエロをやることで、それをちょっと明るくしすぎちゃったなっていう反省もあるんだよね、実は。
ーーでも、それで間口が広がったし、毎回ライブハウスで喧嘩ばっかりあったら本当に限られた奴しか来なくなるから、良かったと思いますよ。そういう意味でもニューロティカは既成概念をブチ壊してきた。逆にパンクだったと思います。
あっちゃん:ちょうど、色んなバンド同士の垣根がなくなってきた時期だったよね。当時、あそこの世界はアンダーグラウンドでカッコよかった。みんなが集まる所で、テレビにも映らない、本にも載らない、学校のクラスメイトもメンバーもわからない、俺しかわからない場所って言うか。俺にとっては一番カッコいい輝いた場所で、あそこ行けば誰かいるし、しかもみんなトッポい奴ばっかり。その時の仲間とは今も繋がっていて、ついこの前やった渋谷O-EAST 30周年ワンマンの時もなんだけど、イベンターは入れてなくて、ストッパーやらセキュリティやらチケットやらは、みんな友達が無償でやってくれた。全国どこでもそうなんですけど、本当に素敵な仲間に囲まれていますね。
ーーインディーズのシーンには、そういう「みんなで協力して形にする」っていうのが多いですよね。
あっちゃん:少し前に岡山に行った時、地元のバンドの子が無償でストッパーとかするんですよ。自分たちのライブハウスを守るんだって気持ちがすごい伝わってくる。で、みんな帰りは自転車で「どーもありがとうございましたー!」なんつって帰るの。もうそこだけで俺ね、素敵だなぁーと。