ゲームの元ネタを巡る旅 第11回

西遊記とはどのように生まれ、広がってきたのか? 話題作『黒神話:悟空』から紐解くルーツ

 多種多様な販売形態の登場により、構造や文脈が複雑化し、より多くのユーザーを楽しませるようになってきたデジタルゲーム。本連載では、そんなゲームの下地になった作品・伝承・神話・出来事などを追いかけ、多角的な視点からゲームを掘り下げようという企画だ。

 企画の性質上、ゲームのストーリーや設定に関するネタバレが登場する可能性があるので、その点はご了承願いたい。

 第11回は『黒神話:悟空』から西遊記を紐解いていく。

 西遊記のその後を描いたアクションRPG『黒神話:悟空』。中国神話の妖怪や登場人物たちが入り乱れ、丁々発止のやりとりとバトルが展開されるが、馴染みの薄いキャラクターも登場するため、なかなかその全貌を把握しながら進めるのは難しかった。

 本稿では「そもそも西遊記とは何なのか?」という点から解説を始めつつ、ゲーム本編の各章についてざっくりと紹介していきたい(エンディングを含む六章は除く)。

『西遊記』とは? 天竺までありがたいお経を取りに行く旅

 『西遊記』は、いまでこそ中国四大奇書(他に『水滸伝』『金瓶梅』『三国志演義』)に数えられる物語として有名だが、特定の作家が書いた作品というわけではなく、数多の人の手によって補記・改竄され、今日に至った経緯がある。

 大元は史実である。7世紀、仏教の原典に当たるためにインドへと旅立った三蔵法師玄奘は、16年後の645年、大量の経典とともに長安へと帰り着いた。日本ではちょうど大化の改新が起きた年である。

 国禁を犯しての旅路であったが、ときの皇帝であった太宗は玄奘を許し、仏典を翻訳したうえで、旅で見聞きしたものも記録するように命じた。玄奘が口述し、弟子の弁機が書いた地理書『大唐西域記』……これが西遊記の大元になる。だが当然ながらここには、喋る豚も変身する猿も出てこない。

 しかし、玄奘は他にも、弟子の慧立に『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』という伝記を綴らせており、こちらは摩訶不思議なエピソードも登場する。以降、西遊記が妖怪や魑魅魍魎の跋扈する面白おかしいフィクションに変わっていったことには、そもそも当人が始めたというわけがあったのだ。

 それからおよそ1000年近くのあいだ、西遊記はあらゆる人物によって語り直され、1592年に、金陵(南京)の世徳堂という書肆から『新刻出像官板大字西遊記』と題する20巻の本が刊行された。こちらは全100回の構成になっており、我々がイメージする西遊記と近しいものである。

 では、以降は『黒神話:悟空』のゲーム進行に沿って、西遊記を読み解いていこう。

プロローグ/一章 火照黒雲

 三蔵法師らとの取経の旅を終えた孫悟空は、故郷である花果山に戻っていた。そこに顕聖二郎真君が現れ、圧倒的な力で孫悟空を再び封印する。その封印を解くために、志のある一匹の猿が旅に出るというのが『黒神話:悟空』のストーリーだ。

 顕聖二郎真君という人物は、道教における治水の神で、『封神演義』でも描かれているポピュラーな神様である。神犬を連れた美青年で、西遊記では第6回に登場。天帝の命により、イタズラばかりしている孫悟空を封印した。『黒神話:悟空』のプロローグは、それの描き直しというわけである。

 「一章 火照黒雲」は、黒風山というロケーションが舞台だ。西遊記の第16回と第17回に相当する物語である。

 観音禅院という寺で一泊した一行。そこの住職(金池長老)が三蔵法師の袈裟を欲しがり、彼らが休んでいる部屋に火をつけた。悟空は機転を利かせて三蔵を守ったことで、代わりに住職たちが済む寺院のほうが焼けてしまった。寺は灰になり、盗もうと思った袈裟も紛失してしまったことで、住職は頭を壁に打ち付けて自殺してしまう。

 袈裟を盗んだのは黒風山の黒風大王だとわかった悟空は、筋斗雲で山へひとっ飛び。黒ずくめの熊を倒し、無事袈裟は三蔵の下に戻ったのであった……というお話だ。

 ――『黒神話:悟空』では、金池長老と黒風大王の出会いに加え、金地長老の浅ましさや、黒風大王にどんな狙いがあったかなど、原作の空白を埋めるためにいろいろと脚色していることがわかる。西遊記の続編という作りでありながら、西遊記をより立体的に描くということにもチャレンジしているのだ。

二章 風起黄昏

 二章は、西遊記の第20回と第21回に当たる。

 黄風嶺に通りかかった一行は、黄風大王の手下である虎先鋒に襲われる。八戒と悟空が戦っているあいだに、三蔵は黄風大王にさらわれてしまった。悟空は黄風洞に向かい、大王に戦いを挑むが、狂風で目をやられてしまう。

 そこで悟空は、藪蚊に化けて大王たちの会話を盗み聞きし、霊吉菩薩が狂風を抑えられることを知る。須弥山まで飛び、霊吉菩薩の力を借りることで、無事大王を倒して三蔵を救出。黄風大王は一匹の貂であった……。

 ――こちらも一章と同じく割とシンプルな話であるが、注目したいのは悟空が菩薩の力を借りている点だ。

 西遊記は悟空たちの知恵と勇気で潜り抜けるお話だと思われている方も多いかもしれないが、実のところは結局菩薩に助けてもらうケースが目立つ。

 ゲームの方では、悟空たちにやっつけられてしまった虎先鋒が次代になっている。父の死後に弟とどう生き抜いてきたか? といった脚色がなされており、それだけでも面白い。取経の旅路で三蔵たちが退けてきた妖怪たちにも、それぞれに暮らしや想いがあったのだ……という観点は、続編ならではの試みと言えるだろう。

 それにしても、ここまで原作ありきの設定を大量に盛り込んでいるなんて、プレイ前には想像もつかなかった。ほとんどのユーザーが西遊記を読んでいるか、もしくはこれから興味を持ってくれることだろう……という開発側からの圧倒的な信頼の眼差しを感じる作りである。

 また、二章の冒頭から登場するやたらとロックな三味線を弾く印象的な妖怪「首なし法師」の正体にも注目だ。この人物配置と関係性の妙が『黒神話:悟空』の本領である。

三章 夜生白露

 この章は主に第47回から第49回と、第65回及び第66回を基にしている。

 第47回から第49回はこうだ。通天河という河に差し掛かった一行は、霊感大王という妖魔と戦う。決着はつかず、妖魔は河底に逃げる。今のうちに渡ろうと主張する三蔵に従った一行だが、三蔵が河に落ちてしまう。悟空は水の中で妖魔と戦うも、あえなく撤退。

 これまたいつも通り、観音菩薩に助けを求めると、菩薩は竹籠を水の中に放る。そこには小さな金魚がいた。そう、霊感大王は菩薩の蓮池で泳いでいた金魚だったのだ。一行は老亀の背に乗って、次の地を目指す。

 そして第65回と第66回。取経の一行が小雷音寺にさしかかり、三蔵が(大方の予想通り今回も)妖怪にさらわれてしまう。この寺自体が黄眉という妖怪の罠だったのだ。悟空は方々に助けを求めるが、どんな策を弄しても黄眉の持つ魔法の袋に閉じ込められてしまう。

 だが、最後には弥勒菩薩が現れ、妖魔の正体が黄眉童児であることを告げてくれる。計略を用い、なんとか黄眉を捕まえることができた。

 ――これらの回は、西遊記のなかでもとりわけアクション・スペクタクルを感じさせてくれるものだった。3Dアクションゲームであると考えた際に、ストレートに表現しやすかったのではないだろうか(竜も出てくるし!)。

 特に本章のラスボスを担う黄眉は、人類の欲深さについて、深く洞察している節がある。因果応報とは何か、苦とは何かについて問答し、挙句の果てに道を踏み外していく様は、まさしくダークファンタジーで描かれる僧侶のそれだ。本作で最も王道な筋立ての章だと考えられるかもしれない。

 章の幕間にある短編アニメの出来も素晴らしかったので、ぜひとも飛ばさずに観てほしいパートである。

四章 曲度紫鴛

 この章は第72回と第73回を基にしている。

 三蔵法師が托鉢に赴いたのは、うら若き女たちが蹴鞠をしている家だった。彼女たちからお斎を受けるものの、それは人肉を固めた料理ばかりで、精進者の三蔵はこんなものは食べられないと断る。そこで女たちは正体を現し、蜘蛛になって三蔵を吊るしてしまう。

 そこで猪八戒が彼女らの湯浴みを邪魔するが、敢えなく返り討ちに。結局は悟空が鷹を使って反撃し、三蔵の命は救われたのだった……。

 ――三蔵法師の肉は聖なるもので、妖怪たちにとって若さを取り戻す力があるのだが、女妖怪は彼の精液こそが目当てであるという向きもある。

 また、仏教徒である堅物の三蔵法師と違い、猪八戒は肉欲や性欲に塗れており、俗物として描かれることが多い。『黒神話:悟空』でも、紫蜘児のロアを読む限り、猪八戒が蜘蛛女たちの湯浴みを襲ったというシーンを自由に解釈して、若き日の過ちをいつまでも覚えている老婆というエロティックなラブロマンスに仕立て上げていた。

五章 日落紅塵

 クライマックスも近いということもあり、ここにきてようやくかの有名な牛魔王と芭蕉扇の話が出てくる。第40回から第42回、そして第59回から第61回までに相当する。

 第40回から第42回はこうだ。木から吊るされている子どもを助けた三蔵だが、案の定それは妖怪の子ども・紅孩児で、三蔵はまたしても捕まってしまう。紅孩児が自身の義兄弟である牛魔王の息子であると知った悟空は、彼の住む火雲洞へ向かう。

 火攻めに遭って退散した悟空は、何度も観音菩薩に助けを求め、最後には浄瓶の水でもって紅孩児の消えぬ火を消すことに成功する。紅孩児は菩薩の戒めを受けて、善財童子となった。

 そして、第59回から第61回。火焔山という土地に差し掛かった一行。一年中燃え盛る炎を消すためには、牛魔王の嫁である鉄扇公主、またの名を羅刹女から芭蕉扇を借りるしかないことを知る。しかし、羅刹女は自らの息子である紅孩児を孫悟空に殺されたと思い込んでおり、そう簡単に貸してはくれなかった。悟空が羽虫に変身して羅刹女を体内から攻撃すると、羅刹女はさすがに降参し、芭蕉扇を寄越す。

 しかしながら、芭蕉扇は偽物であった。本物は牛魔王が持っているとし、今度こそ牛魔王と激突。死闘の末、ようやく本物の芭蕉扇を借りることができたのだった。

 ――『黒神話:悟空』の物語は、紅孩児を主役に添えて、少年が持つ強大な野心と、それをどう受け止めるべきか悩む親という、非常に卑近な家族関係の構図になっていた。ステージ全体は短いながらも、印象深い物語だった。

 六章は重大なネタバレになるため、詳細は控えるが、西遊記があらゆる人間によって自在に語られてきたという事実を踏まえたうえで、今作はどういう具合にラストを描くべきかという問いにクレバーに答えられているように思えた。

 一匹の猿に与えられた天命……それは芳醇な神話世界を渡り歩き、人妖それぞれの想いを受け止めることから始まる。そんなたっぷりとした行間を感じさせるゲームであった。

参考文献:
武田雅哉・著『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 西遊記』(角川ソフィア文庫)

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