立体音響と触覚提示技術で“夜明け”を表現 若狭真司らが語る「音に触るように聴く」挑戦的企画の裏側

 銀座にある10坪の実験的POP-UPスペース Sony Park Mini(ソニーパークミニ)で、6月30日まで開催されていたサウンドインスタレーション『よあけのおと』。作曲家/アーティストの若狭真司が「漆黒の夜更けから薄明の朝に移りゆく“夜明け”の世界観」を音楽で表現し、それを12台のスピーカーによる立体音響とベンチの座面に設置されたソニーの床型ハプティクス(触覚提示技術)「Active Slate」(※)によって、音に包み込まれるような貴重な感覚を体験できる取り組みだ。

 今回、リアルサウンドテックでは若狭本人と、ソニーPCL株式会社 クリエイティブ部門 UXクリエイション部 UXビジネスデザイン室の綱島 洋氏にインタビュー。“音楽とテクノロジー”が相互作用を生み出した挑戦的な企画について、じっくりと話を聞いた。(編集部)

「言葉にならない美的体験をしてもらいたい」音楽×触覚によるアプローチを選んだ理由

ーー今回の展示のテーマである「夜明け」に注目したきっかけや、展示名に込めた思いとは?

若狭:『よあけのおと』という展示名は、実は二つの作品からインスピレーションを受けています。ひとつは、僕が大好きな中国唐代の詩人、柳宗元が漁師のおじいさんが夜明けを迎える瞬間について書いた「漁翁」という詩です。

 もうひとつは、その詩をモチーフにしたユリー・シュルヴィッツの『よあけ』という絵本です。この絵本では、時間の流れが巧みに表現されているのですが、特に物語の最後で、目の前の光景が開ける瞬間がものすごく美しく描かれているんです。

 こうした作品との出会いがあって、自分の音楽で「夜明け」というテーマを表現したいと思うようになり、『DAWN』というアルバムの制作や展示のタイトルに繋がりました。

若狭真司

ーー今回の企画はどんな経緯で始まったのでしょうか?

若狭:1年以上前にさかのぼるのですが、当時、僕は兜町のオルタナティブスペース・AAで『薄明』という展示をやっていました。これは今回とは真逆の暮れていく時間をテーマにしたもので、真っ暗な中で爆音の音楽を聴かせるという、かなり刺激的な内容でした。

 同じころ、神保町のThe Whiteなど、都内の他の場所でも全部で3箇所の展示をやっていたのですが、その時は各場所の特徴に合わせたサウンドインスタレーションを展開していて。こうした実験的な内容が、偶然にも「実験的なポップアップスペース」を目指すSony Park Miniの方の目に留まったことで「一緒に何か企画しませんか?」と声をかけてもらいました。

 ただ、その時はまだ具体的な計画もなく、しばらく企画が進まない状態のままでしたが、昨年12月に『DAWN』の制作を始めたタイミングで連絡してみたところ、予想どおりこのアルバムのテーマに興味をもっていただけました。そこからSony Park Miniの企画として進めていくことが決定し、お互いのスケジュールを調整しながら、展示の準備を進めていきました。

ーー Sony Park Miniチームと一緒に作った音響空間で、特にこだわったところを教えてください。

若狭:立体音響の面から言うと、僕が作りたかった音のイメージは、ちょっとぼんやりした音像です。実は、今回の展示では、最初からアンビエントミュージックを作ろうと思っていたわけではなくて。それよりも僕が惹かれていた明け方や夕方のように様々な色が重なり合う、そのグラデーションのイメージを音で表現しようとしていましたね。なので、今回は結果的に霞がかかったようなテクスチャーが強調された音になり、気づいたらアンビエントミュージックに近づいていたという感じです。

 それに僕としては、ただ音楽として聴いてもらうというより、彫刻や絵画を見る感覚でここでの30分間を体験してもらいたかったんです。それでこの展示を立体音響にしたわけですが、その中で表現したかったのは、音の動きや質感がなめらかな変化です。最初はゆったりした感じから始まって、だんだん細かい動きが増えていく。そして、ビートが入って、最後はテクスチャーだけになる。そういう表現を作るために元々1時間程度の長さの12曲入りアルバムから、一番特徴的な音を持つ曲を何曲か抜き出して、30分のシーケンスに並べていく。今回の作品はそういったプロセスで制作しました。

若狭が最初に書いたラフスケッチ。これが結果的に展示のメインビジュアルとなった。

ーー『DAWN』の音源を立体音響用に再構築する上で、特に難しかったのはどういった部分でしょうか?

若狭:元々『DAWN』は普通のステレオ音源として作りました。ただ、アルバムがほとんど完成した時点で、「これは立体音響でやれるかも」という手応えがあったんです。

しかし、やっぱり元々ステレオ音源として作ったものを立体音響に変えるのはすごく苦労しましたね。特に各トラックを分解して、音の配置と動きを決めていく作業は苦労した部分です。この作業は実際の展示空間が決まらないと進められなかったこともあって、サウンドシステムのセッティングも含めて、すごく労力がかかりました。

ーーステレオ音源から立体音響音源に再構成する際に、音の配置を変えたり、新しい音を足したりすることもあると思いますが、今回はどうでしたか?

若狭:基本的には新しい音は加えていません。ただ、曲の前後や途中に入れる自然音に関しては後から追加しています。たとえば、温泉で録った明け方の音が入っていたり、そういう自然音はイマーシブ感を出すという目的で追加した音なので、過剰かなと思うくらい色んな自然音を追加しています。

ーー実際に展示では、聴こえてくる自然音が作品の時間軸の説明として機能していると感じました。

若狭:そうしないと単にアルバムの曲を並べただけになってしまうかもと危惧したこともあってなのですが、結果的に曲同士のパイプ役になってくれています。楽曲自体は原曲から削った部分の方が多いですね。今回は展示空間が割と小さかったので、そのサイズに原曲の音を全部入れてしまうと、音が飽和してしまう箇所がいくつかあったんです。それで綱島さんと話し合いながら、センドエフェクトなど、最初は入れるつもりだったものを削りつつ、全体のバランスを調整しました。本来であれば、もっと出ていないといけない音が、動かせば動かすほど出なくなってしまったので、そのバランスを整えていく作業には頭を悩ませましたね。

ーーそうした苦労があった上で完成した立体音響の最終的な手応えはどうでしたか?

若狭:今回はせっかくの立体音響なので、かなり自由な発想で音を配置しました。ただ、それでうまくいった部分もあれば、うまくいかなった部分もあったので、今後のことを考えるとまだまだ課題は残っています。でも、「次はここをこう改善したい」という具体的なアイデアもたくさん出てきたので、僕としては次につながる展示になったと思っています。

ーー 実際に足を運んで、立体音響演出、視覚演出、Active Slateのハプティクス技術による触覚演出の3つを同時に体験しているような感覚を覚えました。このシステムを通して、来場者にどんな体験をしてほしいという狙いがあったのでしょうか?

若狭:光による視覚演出と音響演出の関係については、先ほど名前を挙げたThe Whiteでの展示からつながっているんです。その時はあまり大きな音を出せない環境だったので、青からオレンジに変わる照明を使って、光の量や色の変化で音の大きさを視覚的に感じさせるということをしました。その時は10分くらいのシーケンスでしたが、今回はそれをもう少し長くした感じなんです。

 もちろん、今回は「夜明け」がテーマなので、その部分で少し明るい色を使って、音も明るくしていますが、来場者に感じてほしい効果は、その時の展示とほとんど変わりません。今回も音と光が合わさって生まれる、その独特の体験を味わってほしいと思っています。

 ただ、私の音楽作品は、あくまでメロディーが主役の音楽ではないので、そこで得る感動は単純な感動と少し違うんです。たとえば、ストーリー性のある映画を見た時に感じる感動とは全然違うものというか、それはむしろ、僕が好きなブランクーシの彫刻を見た時の感動に近いと思っています。言うなれば、言葉では表現しにくい、悲しくも嬉しくもない、でも「なんか心に響く」みたいな感動という感じなんです。

 だから、この静かな音楽で、そんな風に言葉にならない感動を表現するために今回は照明効果やActive Slateの触覚効果を組み合わせました。そして、それはこういった理解が難しい音楽でも、さっき言った言葉にならない感動に近い美的な体験をしてもらいたいという狙いというか、僕の願望があったからです。

Active Slateが埋め込まれたベンチ。

ーー今回の展示ではどのようにActive Slateを活用して若狭さんの意図した音響体験を作り上げましたか?

綱島:まず若狭さんから音楽の流れと照明の変化のタイムラインをもらい、それを基に音楽をどう空間に配置するか考えていきました。

ソニーPCL株式会社 クリエイティブ部門 UXクリエイション部 UXビジネスデザイン室の綱島 洋氏

 ただ、さっき若狭さんが言ったようにすべての音をそのまま使うのは難しかったので、音の種類ごとに分けて、約20のトラックに分割したデータを素材としていただいていて。それをこちらで仮想空間上に擬似的に構築したSony Park Miniの中に配置していきました。

 Active Slateは、実は振動と音を出せるデバイスでもあるんです。なので、今回は、仮想空間にActive Slateと12台のスピーカーを置いて、まずは単純に音を配置し、それぞれで音を出しながら聴こえ方をチェックしていきました。その後、弊社の品川オフィスに実際のSony Park Miniの環境に近い設定を作り、スピーカーとActive Slateで立体音響を仮組みしています。その音を若狭さんにも聴いてもらった上で、意見をいただきつつ、音の配置や動きを調整していきました。ただ、最後に現場で聴いてみたら、弊社のオフィスで検証した環境よりも音がこもりがちだったので、現場では主に音の帯域ごとに調整していきました。

ーー仮想空間でのシミュレーションの段階からActive Slateを1台のスピーカーとして扱っていたということですか?

綱島:そうですね。Sony Park Miniの展示空間には複数のActive Slateを配置しています。それを仮想空間でも同じように配置して、それぞれを1つのスピーカーとして扱っています。さらにActive Slate自体にもチャンネルが複数あるので、12台のスピーカーと合わせると非常に多くのチャンネルで構成されています。なので、今回の展示ではActive Slateで動く音と展示空間のスピーカーの音を別々に作って、後からそれを組み合わせる方法で立体音響空間を構築しています。

 また、スピーカーとActive Slateでは音の処理方法を少し変えています。Active Slateの場合は、音源からの距離に応じて音が変化するように処理しています。これに対して、12チャンネルのスピーカーの方は、球体の中で音が動いているように処理しています。このようにそれぞれ異なるアプローチを取っているため、ソフトウェアの処理も各々のアルゴリズムに任せている部分があります。

ーー2年前にSony Park Miniで実施していた「パークラボ EXPT.01 床は人を旅に連れて行ってくれるのか?」というプログラムでも床にActive Slateを使う形での展示と今回の展示では、同じハプティクス技術ですが、違うアプローチで活用されています。今後、この技術を活用する方法としては他にどんな方法が考えられますか?

綱島:Active Slateは、振動と音の両方を出せるだけでなく、踏む力も感知できるインタラクティブなデバイスです。ですから、本来は、踏み込みを感知して擬似的な触覚と実際の反応を返すことで、たとえば氷の上を歩いているような体験を提供するために使用します。

 ただ、今回は音楽体験に焦点を当てたかったので、そのインタラクティブな機能は使わず、単純に多チャンネルの振動スピーカーとして使いましたが、それは弊社として初めての試みでした。これは、今回の現場環境ではActive Slateを活用した新たな表現の可能性を模索したかったので、Active Slateを使った空間の新しい活用方法を提案できたと思っています。

 今後の展望としては、従来のインタラクティブな機能を活かしながら、同時に音楽体験も充実させる方法を探っていきたいですね。さらに、他の技術との組み合わせも視野に入れて、新しい体験の可能性を追求していくつもりです。そういう意味では、音と照明と組み合わせて使った今回の展示は、Active Slateの可能性を示す好例になったと考えています。

ーー銀座の地下という特別な場所で、地下鉄の駅も近いのに、工業的な音じゃなくて森の中にいるような柔らかい音を楽しめる空間になっていて、とても印象的でした。こんな環境でアンビエント音楽を体験してもらうことに、どんな狙いや期待があるんですか?

若狭:このエリアはビジネス街でもあるので、日中はみんな忙しく動き回っていますよね。そんな場所に、ふらっと立ち寄れて音に浸れる空間があったら、少しホッとできるんじゃないかなと思って、こういった柔らかい音を作りました。

 そもそも今回の展示テーマの「夜明け」は、人間にとってポジティブな印象があると思うんです。たとえば、銀座だと夕方に仕事を終えて疲れて帰る人もいれば、お昼からまた頑張ろうという人もいると思います。そういういろいろな人がここで音を浴びて癒された気分になってもらえたとしたら、すごく嬉しいですね。

ーー 環境音楽やアンビエントミュージックがこの展示の大きなテーマになっていますが、若狭さん自身が考えるこのジャンルの特徴や魅力とは?

若狭:環境音楽やアンビエントミュージックって、アーティストによって捉え方がすごく違うんです。たとえば瞑想用に作る人もいれば、自分を癒すためだったり、もっと切実なテーマで作る人もいます。でも、このジャンルで共通しているのは、メロディーをあまり強調しないということです。たとえば、僕の曲の中には、メロディーをグーッと引き伸ばして、元に戻すとひとつのメロディーになるものもあります。

 つまり、普通の音楽のようにメロディーと和音をつなげるのではなく、音の表面を指でなでるような感覚というか、このジャンルのアーティストは、音そのものの特徴や質感に注目する人が多い印象があります。

 僕自身も、自分のアーティストとしての作品と所謂クライアントワークでは作り方を変えていて、アーティスト作品を作るときは、絵を描くみたいに即興的に音を重ねていきます。こういう風に音の質感を触覚的に楽しめる音楽として作れるところが、環境音楽やアンビエントミュージックの大きな魅力だと思いますね。

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