容赦のなさと優しさを併せ持つ、唯一無二のゲーム体験 痛々しくも力強い『Senua’s Saga: Hellblade II』レビュー

 『Senua’s Saga: Hellblade II』は平凡な作品ではない。それは前作である『Hellblade: Senua’s Sacrifice』の時点で明確だったが、約6年という期間を経てリリースされた今作においても同様である。基本的に、本作をプレイしていて清々しい気持ちになったり、勧善懲悪の喜びに浸る場面はほとんどない。そのかわりにあるのは、「なぜここまでやらなければならないのか」という痛ましいとすら言える体験。だが、恐らくはそれこそがNinja Theoryがこの物語の続きを描くことに決めた理由なのだろう。

民を解放するため、新たな戦いへと身を投じるセヌアの物語

 「Hellblade」シリーズは北欧神話の世界を舞台としたアクション・アドベンチャーであり、前作では亡くなった恋人の魂を蘇らせるために単身でヘルヘイムの地へと向かう戦士セヌアの物語が描かれていた(前作の内容は本作の特典映像としても収録されているあらすじの映像からも知ることができるため、必ずしもプレイする必要はない)。今作では、あれから時を経て、奴隷となっていた民を解放するために新たな戦いへと身を投じた末に、より巨大な存在と対峙することになるセヌアと、彼女を信じ、その挑戦を支えようとする人々の姿が作品の軸となっている。北欧神話を描いたゲーム自体は決して珍しいものではないが、本シリーズが他の作品と明確に異なっているのは、全編を通じて幻聴や幻覚、あるいは過去の経験から生まれた痛みに囲まれながらも、自らの目的を成し遂げるために必死の思いで前へと進もうとするセヌアというキャラクターの存在に他ならない。前作と同様に、本作においても、セヌアには常に何者かが語りかけてくる声が聴こえ、他の人物には見えないものが見える。

 前作において特にプレイヤーに大きな衝撃を与えたのは、最序盤で「ゲーム中に死亡するたびにセヌアを蝕む腐敗が進み、やがてある一定量まで腐敗が到達するとセーブデータ自体が消滅する」という言葉が提示される場面だろう。それは(詳細は伏せるがゲーム内における実際の描写も含めて)本シリーズの特徴でもある「主人公の精神描写と一体となったゲームプレイ」の在り方を象徴していたように思う。このアプローチを丁寧に実践するために、Ninja Theoryは精神疾患を抱える当事者や専門家の監修を元にして開発を行っている。もちろん、その取り組みは『II』においても同様だ(だが、冒頭で示される警告が示すように、本作は決して優しい作品ではない。プレイするにあたっては十分に注意することを強く推奨する)。

Senua's Psychosis Feature | Senua's Saga: Hellblade II

 「Hellblade」はそのようなセヌアの姿を通して「物事を異なる視点で視るということ」について描いたシリーズであると言えるだろう。この主題において、前作がセヌア個人の話に注力していたのに対して、『II』ではセヌアと関わる他者の存在の比重が大きくなっているのが物語における一つの特徴となっている。とはいえ、現代において「物事を異なる視点で視るのが大事である」というのは、飽きるくらいに聞かされている言葉の一つであり、そうした方が良いというのは、きっと誰もが漠然とは理解していることだろう。だが、本作が提示しているのは、そうした当たり障りのない教訓ではなく、本当の意味で「物事を異なる視点で視る」人物が背負うことになる重圧と代償であり、だからこそ本作は痛ましくも強烈に印象に残る、唯一無二の作品となっている。

現代ゲーム最高峰のグラフィック/オーディオが生み出す圧倒的な没入感

 ひとつ注意しなければならないのは、『Senua’s Saga: Hellblade II』という作品がアクション・アドベンチャーというよりは、むしろインタラクティブな映像作品に近い仕上がりになっているということ。たとえば、約7時間というプレイ時間に対して、いわゆるゲーム的な場面に相当する探索やパズル、戦闘の場面はそれほど多くはない。実際のところ、全体の3分の1か半分くらいはカットシーンか会話、あるいはただ前へと歩く場面となっており、マップは基本的に一直線で、章を終えると前の場所へ戻ることはできない。探索においてもわずかな収集要素(物語を補完する「ロアストゥンク」と「顔」。「顔」は最大体力を増加させる役割も担っている)があるだけだ。リプレイ性においても決して高いとは言えない(とはいえ、とある理由によりもう一周、あるいは二周は遊びたくなるかもしれない)。

 ただ、それは本作が物語を語るにあたって不必要な要素をなるべく省いていることの表れでもある。実際のところ、本作のプレイ時間のなかで、冗長に感じたり、繰り返しのように感じる場面はほとんどない。丁寧に作り込まれたフィールドの質感と音響デザインは、その場をただ歩くだけでも多くの情報量をプレイヤーに与え、Unreal Engine 5によって開発された美しいグラフィックとリアルなキャラクターモデルがその説得力をさらに増強する。本作のグラフィックは「凄まじい」の一言であり、現行のAAA作品と比較してもずば抜けていると言って良いだろう(やっと次世代機感のある作品が出たという感慨すらある)。それでいて筆者のPC環境でも挙動が不安定になる場面が少なく、約70FPSのフレームレートを安定して出しているというのは驚きだ(CPU:Intel i7-9700F/GPU:RTX 3060Ti/メモリ:16GB。グラフィックのプリセットは「中」)。だからこそ、たしかに短さは感じられるものの、極めてソリッドな体験が詰まっているという確かな感覚が残るのである。正直なところ、筆者としては前述の収集要素すらも蛇足に感じてしまったくらいだ(とはいえ、常時上下に表示されるレターボックスはさすがにやり過ぎというか、非表示にできるオプションが欲しい)。

 そうした本作のソリッドな仕上がりのなかでも、戦闘の場面は特に印象的だ。基本的な戦闘メカニクスは回避/ガード(パリィ可)/弱攻撃/強攻撃+αという一般的かつシンプルな要素をベースとしており、スキルツリーのような成長要素はもちろん、装備の変更という概念すら存在しない。

 また、前作では1対複数の戦闘場面が珍しくなかったが、本作は1対1のみに限定されているためにさらに簡素化されているとすら言える。だが、その挙動はカットシーンと見分けがつかないほどにリアルで美しく、丁寧に作り込まれたキャラクターの表情や肉体の動き、鮮やかに飛び散る血しぶき、生々しい刃の質感がプレイヤーに対してたしかな戦いの手触りを与えてくれる。登場する敵のバリエーションも程よく用意されているために、それぞれの場面の印象も相まって、惰性で戦っているような感覚に陥る場面はほとんどない。ここはさすがNinja Theoryといったところで、本作におけるアクションの芸術的とも言える鮮やかな仕上がりは、セヌアの戦いが「死闘」であることをよりリアルに感じさせてくれる。セヌアは決して「弱い」人物ではなく、確かな戦闘能力の持ち主である。どれほどの苦境に強いられていたとしても、ひとたび刃を振りかざせば自らの持つ力をはっきりと実感できるであろう。だが、それで果たして良いのだろうか?

「異なる視点で物事を捉えられる」こと、その代償を巡る物語

 本作におけるストーリーテリングの大きな原動力となっているのは、自らの信念をまっとうしようとするセヌアの強い意志に他ならない。自らを苦しめる存在でもある「他の人には感じられないなにか」を頼りにしながら、前人未到の挑戦に挑もうとするセヌアの姿は、痛々しくも力強く、「なぜここまでやらなければならないのか」という感覚を抱かせながらも、見る者の感情を惹きつけてやまない。それはプレイヤーだけではなく、物語の旅路の途中で出会う人々にとっても同様であり、彼らはセヌアの力を目の当たりにして、彼女を信じることを決める。しかし、自らの過去や前作での出来事を経て、セヌアにはこれまでに犠牲になっていったたくさんの人々の姿や、自らの存在自体への疑念が次々と襲いかかり、本作においても、必ずしもすべての人々を救えるとは限らず、苦痛がひたすらに増幅されていく。

 ただでさえ苦しい状態であるにも関わらず、周りの人々は自分のことを「特別な存在である」と捉え、それは同時に「期待や責任」という新たな負担となる。その構図に、どこか現実世界における既視感を抱いてしまうのは、きっと筆者だけではないだろう。それは、きっとセヌアという「新たな主人公」を生み出した前作を生み出したNinja Theoryが向き合わなければならなかった課題であり、本作はその残酷な構図の中で苦しみながらも、それでもひたすらに前へと進もうとするセヌアと、それを理解し、寄り添いながらともに戦おうとする人々の姿を描いている。その物語はセヌア自身が今もなお抱えている闇とも呼応しながら紡がれていき、本作は極めて力強く、そして未来を感じさせてくれるであろう帰結を迎える。

 『Senua’s Saga: Hellblade II』は容赦がない作品であり、同時に優しい作品でもある。それはなによりもこの物語(あるいはセヌアの人生)が「続く」ことを求めているからであり、現代ゲームにおける最高峰のグラフィックとオーディオ、Ninja Theoryが長年に渡って受け継いできた芸術的なアクションが確かな説得力を与えてくれる。あまりにもソリッドな仕上がりであるがゆえに全体のボリュームが犠牲になっているのは否定できないが、他の作品では決して得られることのない体験がここにあることは保証したい。

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