『Starfield』がプレイヤーに突きつけた“究極の問いかけ”と強烈なSF体験

メインクエストとともに乖離していく“一般的な人類”と、主人公/コンステレーションの姿

 しかし、多くの人類がそういった“人類的な”生活を続ける一方で、『Starfield』のメインクエストにおける主人公ならびにコンステレーションは、「宇宙への進出」という人類が長年にわたって夢見てきた目的を達成してもなお、純粋な好奇心の赴くままに、さらに見果てぬ謎を探求し続ける存在として描かれている(それはプレイヤーの行動原理とも一致する)。

 その結果、クエストが進むに連れて、前述したような“一般的な”人類と、いまなお宇宙への好奇心を追求する“例外的な”人類の対比はより明確になり、謎が解明されていくとともに両者の距離は少しずつ離れていく。メインクエストの後半では、従来のBGS作品がそうであるように、主人公が大きな選択が迫られることになるのだが(このあたりからはいまでもその意味を考え込んでしまう)、そこで問われるのは、そうした“好奇心”の果てにあるものについて、プレイヤーがどのように捉えているのかということではないかと感じている。

 だが、最も決定的な瞬間は、まさにエンディングの直前に訪れる。そこにあるのは、前述した対比の果てにある、ある意味では『Starfield』そのものをどのように捉えるのかという、プレイヤーに対する究極的な問いかけであり、『Skyrim』のようなこれまでの作品を通して徹底的に「その世界の一人として自由に生きるロールプレイ体験」を作り上げてきたBGSだからこそ説得力を持って提示することができるであろう展開が待っている。

 筆者はメインクエストにおける「ある出来事」をきっかけにして一気に本編をクリアしたのだが、2周目をプレイしている現在、これまでのどのゲームでも味わったことのないような、複雑な感情を抱いている。詳細はネタバレ防止のために伏せるが、きっと同じ体験を味わった人であれば、なんとなく分かってもらえるのではないだろうか。

 すでに多くの批評家やプレイヤーからのレビューが指摘している通り、『Starfield』は決して完璧な作品ではない。明確に指摘できる欠点を数多く抱えており、膨大なスケールにも関わらず、どこか荒削りな手触りを持つ仕上がりになっている。だが、その「複雑な感情」を抱いた瞬間に感じたのは、本作が紛れもなく「究極のベセスダ・ゲームスタジオの作品」であるということだ。長年にわたって人類が抱き続けてきた「宇宙進出」の夢を実現した世界での充実したロールプレイ生活と、それでもなお好奇心を止めることができない人々のみに与えられる「選択肢」。ビデオゲームという表現手法だからこそ実現することのできた強烈なSF体験が、『Starfield』には詰まっている。

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