あの人のゲームヒストリー 第二二回:有野晋哉

よゐこ・有野晋哉が明かす”ゲームとの向き合い方” 「徹子さんになって良さを引き出す」

 ゲーム好きの著名人・文化人にインタビューし、ゲーム遍歴や、ゲームから受けた影響などを聞く連載“あの人のゲームヒストリー”。今回話を聞いたのは、松竹芸能に所属するお笑いコンビ「よゐこ」の有野晋哉(以下、有野)だ。

 同級生の濱口優と1990年によゐこを結成した有野。32年にわたって芸能界の前線で活躍し、過去には『笑っていいとも!』や『めちゃ×2イケてるッ!』などの人気番組にも出演した。2003年11月からはフジテレビ系列のゲーム番組『ゲームセンターCX』にレギュラー出演を果たし、ゲームにまつわるさまざまな企画にチャレンジ。高難度なレトロゲームにチャレンジする名物コーナー”有野の挑戦”はゲームファンの感心を誘い、同番組は後に映像ソフト化・映画化・ゲーム化などのメディアミックス展開にいたる成功を収めた。

 何度かの空白期間を置きつつも、公私を問わず豊かなゲーム体験を育んできた有野。幼少期のゲーム体験をはじめ、若手時代の濃密なゲーム遍歴、さらにゲームの良さを引き出す独自の哲学を聞くことができた。(龍田優貴)

気になるソフトを”ジャケ買い” ゲームに対する知見を育んだ若手時代

――まずは有野さんが最初に遊んだゲーム作品について教えてください。

有野:名前がパッと出てこないんですけど、本体にダイヤルがついていて、赤い本体で弁当箱くらいの大きさでテニスゲームしかできないハード(編注:『カラーテレビゲーム15』?)が一番最初だったはず。小学校の低学年のころで、親戚のおっちゃんの家にあった。そのころはゲームセンターもあったけど、まだまだ怖い印象でしたね。お兄ちゃんと一緒ならなんとか入れるぐらいの感じ。あとはゲームを遊びやすくするために店内も暗かったから小学生には入りづらくて、入りやすそうな遠くのお店まで行ったりしたんじゃないかな。

――過去の番組で、”思い出深いのは『タイムパイロット』”と答えていたのが印象に残っています。

有野:『タイムパイロット』は駄菓子屋さんに置いてあった筐体で遊んでましたね。1ゲーム20円で遊べた気がします。自機が真ん中にあって、360度に乱射出来るのが気持ちよかった。お小遣いは50円やったから、1ゲームやってベビースター食べたら終わってたなぁ。

――その当時はどんなゲームを好んでプレイしていたのでしょうか。

有野:『パックマン』や『シティコネクション』みたいなドットイートゲームが好きでした。ハイスコアを稼ぐと言うより、ワンクレジットでどれだけ長く遊べるか気にしていたと思いますね。

――学生時代や大人になってからのゲーム体験はいかがでしょうか。

有野:学生のころはゲームとまったく向き合ってないです。中学生ぐらいで家にファミコンがあったけど、高校生になったらゲームに全然触れなくなって。でもゲームに夢中な友だちがいたから、その子の家に行ったら遊ぶぐらいでした。周りもみんなバンドブームでそっちに移行したり、ソイツんち以外では遊ばなくなりました。

――ずっとゲームと向き合っているわけではなく、空白期間があったのですね。

有野:5年以上じゃないかな。ゲームに帰ってきたのは東京で一人暮らしを始めるタイミングで、たぶんPlayStation(以下、PS)が出たときくらい。当時は松竹芸能から若手は『よゐこ』だけが東京に出てきていて、近くに他事務所の先輩しかいなくて。レギュラーの仕事もあったけど、周りは東京の人やからそんなに親しくなく、先輩と後輩もみんな大阪にいる。人見知りもバリバリやったから。仕事が終わるとポツーンですよね。それで、ゲームソフトを買ってきてずっと1人で遊んでいたっていう。ゲームしか話し相手がいない時代ですね(笑)。

――関東へ引っ越しされた当時はどのような作品をプレイしていましたか。

有野:一番ハマったのはPSの『ポポロクロイス物語』だったかな。あとは『リンダキューブアゲイン』とか『ワイルドアームズ』も面白かった。そのころは『笑っていいとも』のレギュラーがあったから、本番前に新宿の「さくらやホビー館」に寄って、ソフトを毎週3本買ってました。そのまま楽屋で説明書をパラパラめくりつつ、「このゲームはこのタイプね」とか「この遊び方ね」って予想したりして、プレイはしない。そんなのばっかしてました(笑)。あとになってゲームキューブやPlayStation2も買いましたけど、やっぱり手に取るソフトはメジャーじゃない作品が多かったというか。ワンダースワンも持ってて、「何それ知らない」って言われる優越感というのか、自分だけが知ってるのを探したかった。みんなが知らないゲームで遊ぶのが嬉しかった。ゼルダとかも勿論やるねんけどね。

――気になるゲームをジャケ買いして内容を吟味していたんですね。

有野:適当に買ってた時代でしたね。たしか『ビートマニア』もコントローラー含めて揃えたけど、あまり遊ばなかった気がする。僕には難しくって、近所に教えてくれる友達もいないし(笑)。でも、そこからはどんどんゲームハードを揃えていきました。スーパーファミコンも取り寄せてもらったし、NINTENDO64(以下、64)も3DOも持ってた。3DOはパナソニック(当時)で営業させてもらったときにいただいて、64は車とか重機で障害物をひたすら壊す『ブラストドーザー』をやり込んでました。それで持ってるゲームハードを自作の棚に並べつつ、仕事が終わったらすぐ帰宅して、好きなときにゲームを遊んで外には一切でかけない。そんな時代もありました。めちゃくちゃゲームに忙しくって楽しかったなぁ。

――基本はお一人でプレイされることが多かったのでしょうか。

有野:一人が多かったんですけど、キャイ~ン(お笑いコンビ)の天野(ひろゆき)君と知り合って、自分が遊んでいないゲームを色々と見てましたね。『ビヨンドザビヨンド』もあったし、108人仲間を集めないといけない『幻想水滸伝』とか。僕は横で見ていたんですが、”天野君のプレイに合わせていらないことを言う”遊びをしていました。「その木切ったらすぐアイテム取れるやん」「これは切れないんだよ!」とか(笑)。天野君がツッコミだから、2人の掛け合いになってましたね。あー、いまの課長(ゲームセンターCX)の原型かもしれないです。視聴者が天野君の役でツッコミ、みんなメガネかな(笑)。

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