年商44億円のおもしろ家電メーカー・サンコーのルーツは「Macintosh」にあった? 山光代表がコンピュータ黎明期に受けた"衝撃"とは

ーーそのままショップの仕事を続けられるかと思いきや、一度DTPや編集・制作の仕事に移られたそうですが、そこではどんなアプリを使っていましたか?

山光:Adobe Photoshop、Illustrator、Quark Xpress 、PageMakerの時代ですね。DTPが立ち上がり始めている時代で、手張りで版下を作っていたところを、まだ大きな印刷所にも入っていないフィルムセッターという巨大な機械を導入されていて、IKESHOPの時代から広告の版下を作る時にお願いしていたんですが、そこに入社しました。

 ただ、仕事が非常に辛い。みんな朝から晩までやるのが当然と言う職場でしたね。当時体の調子もよくなかったこともあって、耐えきれずにIKESHOPに戻りました。

ーーIKESHOPに戻ってからはどんな仕事をされたのでしょうか。

山光:広告の制作をしたり、輸入機器の卸会社も系列にあったので、輸入した製品のマニュアルを作ったりするのがメインになりました。

ーーその後、なにかを仕入れて販売する仕事もスタートしたんですね。

山光:なにがきっかけだったかは忘れちゃったんですが、周辺機器を仕入れる話になって、英語はあまり得意ではなかったんですが、メールで海外と交渉して調達する、といったことを少しずつ始めました。スタンスとしては販売代理店ですね。付属アプリのローカライズもやっていました。ソースコードはくれないので、ソースコード以外の部分をリソースエディタで編集していました。リソースにないところはバイナリエディタを使ってテキスト部分を見つけて直接編集し、うまく日本語になるようにスペースを挟んだりしていました。

ーーそんな中、1998年にiMacが出て、世界中のパソコン周辺機器がスケルトンになる時代になりました。

山光:すごい勢いでしたね。iMacに採用されたことでUSBの普及も始まりました。そんなころにCD-RドライブをiMac用に輸入したのがすごく売れて、それが自身のターニングポイントになりました。

Alterations by David Fuchs original by Rama(CC BY-SA 4.0)

ーーUSBについてはどう思われましたか?

山光:やっぱりSCSIと比べればめちゃくちゃコンパクトだし、これで電源もデータもいけるのはすごいなと思いました。

ーーその後2003年には独立してサンコーレアモノショップを立ち上げ、輸入販売を始められました。独立に不安などはなかったですか?

山光:いやもう、不安で不安で大変でしたが、やるとなったらやるしかないので、もう売れなかったら荷台に自分が買ったものを乗せて秋葉原の路上で売らなきゃな、という覚悟でやっていました。

 ただ、「IKESHOP」時代に輸入していたのはDVDドライブとかジョイスティックなどのありきたりな物で、Mac雑誌の編集部に持って行っても反応が冷たい感じで、新製品情報の隅に載せてもらうのが精一杯、記事にはなかなかならないという状態でした。それを繰り返していると、「もっと面白くて記事になる、引きの強いものを扱えば取り上げてもらえて売れるはず」と思ったんです。独立を機に、そういった面白い物ばかりをやればいいと思っていました。狙いが当たり、最初のころからメディアに取り上げていただけて、ばんばん注文が入って、という感じになりました。

 最初はECで立ち上げたので、そのままEC一本で営業してもよかったんですが、お客さまから「直接製品を見たい」という連絡がくるんです。最初は事務所の一角を区切って物を置いていたんですけど、追いつかなくなって、秋葉原に店を出そうということになりました。

ーー物を仕入れて売るビジネスから、やがて自社で企画した製品を販売するようになります。ファブレスメーカーとして商品開発を始めたきっかけを教えてください。

山光:最初は調達品だったのですが、3~4年目くらいから飽き足りなくなってくるのですね。「まだ日本に売っていなくて、役に立って面白いもの」ってなかなか見つからないんですよ。じゃあ自分たちで作ればいいんじゃないかと思い、「乾電池で動くものをUSB電源化する」という取り組みで商品化を始めました。

ーー2000年代後半、USBはすでにコンピュータの周辺機器における代表的なインターフェイスでしたね。

山光:ただ、当時はまだデータ通信用が主軸で、「USBから電源を取る」という考え方はほとんどなかったんです。逆に電源だけを使うという考え方には、ウチがだいぶ早いうちに取り組めたと思っています。USBに関しての取材もたくさん受けました。

ーーそしてユニークな製品が続々と登場することになりました。サンコーの社員は毎週企画提案をしなければならないそうですが、そういう会議を始めたのは創業してどれくらいからですか?

山光:創業して5~6年くらいだったと思います。それまでは私が一人で考えてやっていましたが追いつかなくなり、もっとシステマチックにやりたいなと思って社内掲示板を作りました。自分が企画した商品が世の中に出ること、それが売れて評価が上がれば給料も上がるサイクルがモチベーションになり、うまく回ってくれています。

ーーどういった感じで発表するんですか?

山光:社内ネットの掲示板で週に一度、「自分がこんなことに困っている、家族がこんなことを言っている、だからこういった仕組みやソリューションがあれば売れないかな」というようなアイデアを書きこみます。他の人が「そういう製品はもうあるよ」とか、「それはいいね」とかフィードバックを返す。そうやって盛り上がって商品化の目処が建つこともありますし、私や企画部、調達部門の部門長などがそれを見て吸い上げて、商品企画部が商品としてどうやって製品に落とし込んでいくか考えたり……ということもあります。

 正解があるわけじゃないので、複数の人間がブレストしながら意見を出せる、流れ自体もいいんですよね。商品化されなくてもディスカッションに楽しみを見出す人もいます。いまは社内に工房もあるので、すぐに具体的なプロトタイプも作れます。

ーースティーブ・ジョブズの言葉で「多くのユーザーは自分が本当に欲しいものが目の前に出てくるまでわからない(People don't know what they want until you show it to them.)」というのがありましたが、それを思い出しました。

山光:ジョブズの考え方については非常に的を射ていると思います。コンセプトだけを販売店のバイヤーに伝えても、売れるかどうかは伝わらないんですね。そこで試作機なんかを具体的に作ってお見せすると、口頭ベースでコンセプトを伝えてもダメだったものが、「これいいですね」となる。これは私自身が何度も体験したことです。実際にモノとして提示されれば、自分や消費者が使っているシーンがイメージできるんです。口頭ベースでコンセプトを伝えても構成できない。だから実物を作るのが大事です。

ーー「一人用で、15分くらいでご飯が炊けて、弁当箱になるんです」って言われても、たしかにちょっとイメージしづらいけれど、目の前にこういうデザインで出て来れば説得力がありますね。

サンコーのヒット商品『おひとりさま用超高速弁当箱炊飯器』。1合の米が最速14分で炊きあがる。

ーーいまでこそ「おひとり様需要」というような言葉が登場していますが、それ以前からサンコーさんは、一人が自分のために使うパーソナルな製品を扱われていると感じます。製品自体がパーソナルで、個人的幸福をポジティブに満たしてくれるものが多いように思いますが、これには何か理由があるのでしょうか。

山光:いまは個人主義というか、一人で過ごすのが好き、楽しいという方が増えていると感じるんです。これは日本だけじゃなくて海外、中国などでもそうです。一人でいるのが楽しい、という層が広がっていると思っており、そんな人たちの「美味しい物を食べたい」、「洗い物が少ないといい」、というニーズに対してハッピーになれるようなアイテムを提供しているのが、ヒットしている原因だと思います。

 最近もミニオイルフライヤーを開発したのですが、まだ販売前にもかかわらず、販売店さんからの注文だけですごい数になっています。プチ贅沢というか、少量のオイルで作れるのでいいグレードのオイルが使える。それに揚げ物って一人で少量だとやりづらいじゃないですか。自分の目の前で好みの揚げ具合で食べられる。調理がエンターテインメントになるんです。ニーズもちゃんとあって楽しめて、従来から製品のテーマとしている「面白くてためになる」という部分とのバランスもいいんだと思います。

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