連載:mplusplus・藤本実「光の演出論」(第二回)
身体を拡張し、感情に作用する……「人の身体が光ったら」を追求して見つけた“光の重要性”とは
SAMURIZE from EXILE TRIBEの生みの親であり、LEDを使った旗「LED VISION FLAG」や新体操のリボンを光らせた「WAVING・LED RIBBON」の開発、『東京2020 パラリンピック』開会式で光の演出を担当したクリエイティブカンパニー・mplusplus株式会社の代表・藤本実氏による連載「光の演出論」。
今回は連載のタイトルでもあり、このあと展開していくあらゆる話の根幹となる「光の演出」について、藤本氏のキャリアと個人/会社としてのクリエイティブをもとに解説してもらった。(編集部)
「歩く」という動作に感じた、人間の身体という“ハード”の面白さ
ーー今回は「光の演出」をテーマに話していくということで。大前提として、藤本さんのなかでの「光の演出」はどこからどこまでを指すのか、というところから伺っていければと思います。
藤本:たしかにそうですね。僕のなかでの「光の演出」は、すなわち「身体と光の演出」なんです。「身体と光の演出」を研究してきて、最初に世に出した作品も「Lighting Choreographer(造語:光の振付師)」でした。自分のなかで、光は身体を拡張させるものとして捉えていて。服がただ光るのではなく、身体が蛍やホタルイカのように光る要素を持ったらどんな表現ができるんだろう、という観点からスタートしているんです。人間は四肢が動いて関節が曲がるから、それを使ってダンスができるのですが、それに加えて、自分の身体のどこを光らせるかがコントロールできれば、どんなパフォーマンスができるのだろう、という。
ーー身体を拡張するアイテムとしての「光」というわけですね。それはやはり、藤本さんがダンサーとしてのキャリアを持っていることが大きいのでしょうか。
藤本:大抵のダンスは同じ振りを集団で覚えて、それがどれだけ上手くなるかというものですが、自分のやっていたブレイクダンスだけはまったく違っていて、足技が苦手な人は手だけを使ってずっと身体を浮かせたり、ヘッドスピンだけで世界一になった人もいたり。全部できなくてもこれだけできればいい、という風に自分の個性を活かせるジャンルで、自分で技を作ることが求められる。だからこそ、既存の身体を使うだけではなく、光らせることができればこんな技もできるのでは、という考え方がベースになっていますね。
ーーなるほど、創作することがすべてのベースになっていると。
藤本:技術者視点に戻すと、新しい技術を発表するときに、例えばLEDを使った加速度センサーなら、身体に着けて動いた箇所が激しく光る、みたいなデモを見せるのですが、演出家・ダンサーの視点から考えると、一定の動きしかしないところがワクワクしなくて。手を前に出したら光が前から後ろに流れるだけではなく、そのときの気分や演出によって、後ろから前に流れたっていい。まず動きや身体があって、そこに光がついてくるイメージです。
ーーいわゆる技術者とはアプローチが逆、ということですね。
藤本:だからこそ、色んな方に新鮮に受け取っていただけたのかもしれません。
ーー身体を拡張するという概念で学生時代から取り組み始めた光の演出は、在学中に『Ars Electronica』への出展にもつながりました。このあたりから現在に至るまで、どのように藤本さんのなかで「光の演出」が変化していったのかを知りたいです。
藤本:最初は「身体が分離する」「瞬間移動する」というエンタメ的にわかりやすい演出を考えていたんですが「IPA未踏プロジェクト」に「Lighting Choreographer」が採択されたとき、自分のメンターが日本のアンドロイド研究の第一人者である石黒浩教授だったんです。その最初の報告会でシステムとハードが完成しさせて行ったら、石黒先生から「ハードの開発はもういいから、あとは身体と光の関係についてだけ考えろ」と言われました。1年間の研究期間の残り6ヶ月、自分のなかでは、アーティストというより工学研究者のスタンスでいたのですが、このときに「そうか、これはアートと呼んでいいのか」と思えたんです。そこからは、ずっと光と身体についてだけ考えていて、ある日「歩く」という動作のすごさに気づきました。
ーーと、いいますと?
藤本:ただ前に歩くという動作でさえすごく面白くて。これに全てが詰まっているなと。身体を分解して考えたとき、前に歩く動作をする際の手は、引いてみると2分の1で後ろに下がっていますよね。その動きがわかりやすいように右手と左手を光らせてみると、前に進んでいるのに光は後ろに進んでいます。足は、前に進んでる間、実は軸足は止まっています。その瞬間の軸足だけを光らせれば、前に進んでいるのに瞬間移動しているように見えるんです。
ーー線の移動じゃなくて点の移動ができるわけですね。
藤本:はい、瞬間移動を現実に表現できると思いました。普段何気なくやっていることのなかに色んな表現が隠れていると気づいたときに、自分は新しい表現を発信することができるかもしれない、と自信を持てました。このときに気づいたことは、のちのあらゆる作品に応用しているくらい表現の大きな基盤になりました。
ーー人間の身体という“ハード”の面白さみたいなのに気付けたと。
藤本:その延長線上に『Ars Electronica』の作品があります。二人のパフォーマーの身体を半分ずつ光らせることで、ひとつの身体が分離しているような表現ができたり、ジャンプせずに片足づつ同時にあげることでジャンプのような動きができたりと人間ひとりではできない動きを表現しました。ほかにも、空間を固定して「ここを越えたら光る」「ここを越えたら色が変わる」というのを決めて、x軸とy軸とz軸で光の強さや色が変わる試みもしましたし、集団でダンスをしているんですが、手だけ光らせる人もいれば足も光らせる人もいるという演出をして、綺麗な同じ動きなのに光がバラバラで、違和感を味わえるという作りの作品にしました。そういうふうに、動きと光を組み合わせることで、それぞれの動作が持つ意味に別の解釈を与えられると気づいたのが、自分としてはすごくよかったと思います。
ーーその後の作品も、やはりこの考え方の延長線上になってくるわけですか。
藤本:そうですね。『Ars Electronica』の翌年にNHKの『デジスタ・ティーンズ』で優勝した「Shadow」という作品は、歩く動作を分解したものでした。新たな表現としては、普段は照明に照らされている人が、逆に身体を光らせて自分を照明にしたこと。自分が照明になって壁を照らしたり逆光にしたり、自分が移動することで動く照明を作れるなと思いました。この作品では人間の身体で普通は絶対にできない「ループ再生」をしてみました。一回再生して巻き戻して再生することは、映像の世界でこそ簡単にできるのですが、光を一度点灯させて身体を動かして、戻す動作の前に消してスタート地点でまた光らせることで、現実世界でもループ再生しているように見えるな、と。
ほかにも、タイトルにしている「Shadow(=影)」でいえば、立っている人とその影を二人のパフォーマーが表現していて。一人は身体に付けた照明を点灯させて立ったままにしていて、もう一人の影役が動くことで「影だけが動く」ことを表現していました。光を使うことによって2人をひとつの生き物として扱うことができる、ということをあらわすのって、人と人との境界を無くすことに繋がるんだという発見もありました。