刺激的なVTuber映画『白爪草』は、新たな映像ジャンルを開拓したーーヒッチコック的ともいえる良作について考える
映画の芝居とVTuberの相性
もう一つのポイントは、VTuberシロの芝居と映画の相性だ。本作のプレスリリースで制作陣は、VTuberの感情表現の乏しさについて素直に認めて、演出面の工夫を語っている。
“一方VTuberは、感情表現において、人間の表情筋からなる繊細な表情に劣るとの指摘を受けてきました。本作は、VTuber特有のシリアスな表現の難しさを、制作側が理解し、演出において配慮することで、サスペンスとして違和感なく成立させています。(引用:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000320.000028143.html)”
ここで指摘される表情による感情表現の乏しさは、実は映画においては必ずしもマイナス要素ではない。むしろ、映画監督によっては、役者に必要以上の感情表現をさせないタイプもいる。その代表格が、この映画のジャンルでもある「サスペンス」の神様=アルフレッド・ヒッチコックだ。
ヒッチコックは役者にシーンごとの感情の説明などをしない。時には何も考えずにただ立っていろと指示することもあり、演技派の役者とたびたび衝突していた。役者も表現者なので、シーンごと、カットごとにきちんと感情を表現したいと考えている。しかし、ヒッチコックにとっては、感情表現はカットとカットをつなぐ「モンタージュ」によって表現するものであったため、役者に余計な表情芝居などしてほしくなかったのだ。
モンタージュとは、複数のカットをつなぐことで意味を持たせる演出テクニックで、例えば、無表情の人物のアップのカットに可愛い赤ん坊のカットをつなぐと、その人物が赤ん坊を慈しんでいような印象を与え、豪華な食事のカットをつなげばお腹が空いているかのような印象を与えることができる。全く同じアップの無表情でもつなげるカットによって感情が変えることができるのだ。
本作のシロの芝居は、確かに緻密な感情を表情に出せてはいない。しかし、巧みなモンタージュによって見事に感情が表現されているのだ。もちろん、彼女の声の芝居も巧みだ。むしろ、シロの表情がアメリカの3Dアニメーション並に豊かなら、かえってこのモンタージュによる表現を邪魔しただろう。シロの無表情は、監督の意図に沿った「狙い通り」のものなのだ。(実際にはVTuber技術の現状を考慮し、逆算してこの演出に行きついたのだと思う)
さらに、表情の変化のなさは、二転三転する物語の展開を予想しにくくしていて、作品全体のスリルを劇的に高める効果も発揮している。物語と演出スタイルが見事にVTuberにハマっているのだ。作り手は、VTuberという存在について、徹底的に深く考察して本作を作り上げたのではないかと思う。
『白爪草』は、映画でVTuberをどう生かすかを考え抜いた、非常にクレバーな作品だ。映画とVTuberの組み合わせという、新しい可能性を開いた価値ある1本と言える。もっと多くの人に観られるよう、公開範囲の拡大を願っている。
■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。