【ネタバレあり】『The Last of Us Part 2』の“炎上”から考える、ポリティカル・コレクトネスに向き合うということ

『The Last of Us Part 2』が炎上した背景と、誤りの拡散

 炎上のポイントは主に、次の内容となる。

1. 男性主導の物語から、女性主導の物語へ

 前作の主人公である屈強な白人男性のジョエルは、本作では新キャラクターの屈強な女性であるアビーに殺される。ゲームの主人公はジョエルから同行していた女の子であるエリーに変わり、エリーとアビーを中心とした物語が描かれる。

2. LGBTQIA+キャラクターの登場と、その恋愛描写の存在

 本作ではエリーの恋愛対象が女性となっており、その恋人(ディーナ)も登場し、その二人の(女性同士の)恋愛描写が濃密に描かれる。また、女性として生まれたが、その事に違和感を抱き、頭を丸刈りにするキャラクター(レブ)も主要なキャラクターとして登場する。

3. 上記2点(男性性に対する否定とも取れる描写と、LGBTQIA+)を兼ね備えたアビーの存在

 じつはアビーもまたトランスジェンダーであり、男性の恋人(オーウェン)との性行為を描いたシーンが存在する。

 この3点が炎上要素となっている……が、そもそも3つ目の項目は事前に本作のカットシーンが流出したことで生まれた誤解によるデマである。多くの炎上がそうであるように、本作に対する批判は「本作をプレイしようがしていまいが関係なく」行われているため、事実と異なる話が勝手に独り歩きしているのである。これに関しては擁護する余地なく、はっきりと有害であると断言しておく。架空のキャラクターであろうと、人の性を勝手に判断して、誤っているのにも関わらずそれを批判の材料にするという行為は、もはやただの暴力だし、シンプルに恐ろしい。

 さて、1の「男性主人公から女性主人公へ」という動きは、「スター・ウォーズ」新三部作(エピソード7~9)を筆頭に、エンターテイメントにおけるポリティカル・コレクトネスにおいて最も分かりやすいトピックであり、フェミニズムと絡めて語られることも多い。また、2の「LGBTQIA+キャラクターの登場」についても、2017年のアカデミー賞作品賞を受賞した「ムーンライト」などを代表として、多様な性への理解が広まった現代のエンターテイメントにおいて、積極的に取り入れられている要素である。その点では、『The Last of Us Part 2』は典型的な「ポリティカル・コレクトネスを意識した作品」であると考えられるかもしれない。

 では、本作はやはり炎上が示す通り、「ポリティカル・コレクトネスに支配された作品」なのだろうか? 筆者としては、これらの要素は前作の続きとして、本作の物語を描く上での必然であると考えている。そしてその上で本作は、現代におけるポリティカル・コレクトネスと誠実に向き合っている。

なぜ『The Last of Us Part 2』はこうなったのか?

 前回の記事で書いた通り、『The Last of Us Part 2』のメインテーマは、前作のエンディングでジョエルが取った行動による「結果」を誠実に描くことにある。そもそも本作の物語はその行動の犠牲者であるアビーによって、ジョエルが復讐を受けることで始まり、目の前でジョエルを惨殺されたことで新たな憎しみに取り憑かれたエリーによって物語が動き出すため、前作プレイヤーとしては非常に辛いところがあるのだが、「ジョエルがアビーによって殺され、エリーが新たな主人公になる」のは、ポリティカル・コレクトネスは関係なく「Part 2」における必然と言える。

 では、アビーは女性である必要はあるのだろうか? 本作では、カードやコインのように、エリーとアビーは対の構造となって描かれていく。復讐する側とされた側、恨みを抱く側と抱かれる側、故郷を探す側と出た側、恋愛関係における立ち位置の違い、そして、見知らぬ子供を救う側と見知らぬ子供として救われた側。その構造を描く上で、アビーのスタート地点はエリーと同様に一人の女性として始めることにしたのではないだろうか。もしアビーが男性であった場合、この構造、そしてそれが結実するエンディングのシーンはより複雑で分かりづらいものになっていたかもしれない。そして、そんなアビーの肉体は、ジョエルを自らの手で殺すために、しっかりと鍛え上げられたものになっている。全ては物語上の必然である。

 次に、エリーの恋愛対象が女性であるという点については、前作及び、そのDLCである「Left Behind -残されたもの-」で描かれた旧友のライリーとの関係性において既に示唆されており、今作で突如導入された設定ではない。勿論全ての前作プレイヤーがDLCをプレイしているわけではないので戸惑う意見が出てくるのは分からなくもないが、リリースから6年が経った今になってこの設定が批判の対象となることについて、前作プレイヤーとしては不可解に感じるのも正直なところではある。そんなエリーも本作では19歳となっており、恋人もいればセックスもする。そして悩む。こちらもまた、前作から真っ直ぐに線を引いた結果である。

 では、本作は結果として現代におけるポリティカル・コレクトネスとリンクする作品になってしまっただけで、別にその要素自体は当たり前のものとして『The Last of Us Part 2』の世界では受け入れられるのだろうか?

 残念ながらそうではない。物事はそう単純ではない。

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