ゴールデンボンバー歌広場淳の「続・格ゲーマーは死ななきゃ安い」

歌広場淳、好きな格ゲーキャラクターを語る “股間がうずく”キャラの条件とは?

 大のゲームフリークとして知られ、ゲーマーからの信頼も厚いゴールデンボンバー・歌広場淳による連載「続・格ゲーマーは死ななきゃ安い」。今回は、“好きなキャラクター”と、その条件について自己分析してもらった。自分の“好き”を徹底分析し、ゲームのみならずイケメン俳優、宝塚歌劇団や映画・ドラマまで、幅広い分野で的確なコメントを残している歌広場淳。そんな彼が語った、“股間がうずく”キャラクターとは?(編集部)

直感で好きでも、操作して“何か違う”という悲劇

 今回は僕が格闘ゲームで“好きなキャラクター”についてお話ししたいと思います。格ゲーに限らず、“自分はどんなものが好きなのか”ということを分析して自覚しておくと、選択するときに迷う時間が減って、単純に楽しむことに力を注ぎやすくなるので、考え方の一つの参考にしていただければと思います。

 さて、みなさんもマンガやアニメで、好きなキャラクターがいると思います。それと比較したとき、格ゲーのキャラクターには大きな違いがある。つまり、“展開に自分が関与できる”ということです。

 そして、自分で操作することができるがゆえに、本能的に「このキャラが好き!」と選んでも実際に動かしてみたら何か違う……ということもあるのがゲームであり、それは一つの悲劇と言えます。例えば、ビジュアル的に正攻法で戦う主人公キャラかと思ったら、トリッキーな動きでコツコツ戦うという性能だったり、見るからに肉弾戦を好みそうな筋肉ムキムキのビジュアルなのに、飛び道具を使ってチクチク戦うキャラクターだったら、「思っていたのと違う」という感覚になってしまいます。そうならないため、ユーザーの直感とキャラクターの性能が乖離してしまうという悲劇を防ぐために、ゲームメーカーの方々は心を砕いてゲームを作っている訳です。

 もっとも、キャラクターのビジュアルやストーリー上のイメージと実際の性能のギャップがアンバランスで、それが逆に面白いといったケースもあります。例えば2005年にアーケードで稼働した格闘ゲーム『北斗の拳』では、あの“世紀末覇者拳王”たるラオウが、製作者の意図を凌駕するやり込みゲーマーたちの手によって、一撃必殺の攻撃ではなく、しゃがみ弱パンチで100ヒットを出して勝つようなキャラクターに行き着きました(笑)。こうした作品があることもまた、格ゲーで“好きなキャラクター”を語るときの豊かさにつながっていると思います。

 そもそもの話をすると、対戦格闘ゲームの面白さはつまるところ、「異種格闘技」の面白さである、と僕は考えています。“力は強いが足が遅く距離を取られると弱い”、“力は弱いがスピードがある/リーチが長い”など、異なった個性のあるキャラクターがぶつかるところにゲームならではの意義があった訳です。象徴的なのはやはり『ストリートファイターII』で、オーソドックスなリュウ/ケンに、溜めキャラのガイル、肉弾戦タイプのザンギエフやエドモンド本田がいて、野生的でトリッキーなブランカやダルシム、紅一点の春麗など……直感的に好みのキャラクターを選んでは「なるほど、こう来たか」とキャラ独特の特性に舌を巻いたわけです。

 ただ、細かい話になりますが、それがあるタイミングで変わってきました。例えば『ストII』には、発生時に無敵判定になる、いわゆる「無敵技」を持っているキャラクターと、そうでないキャラクターがいました。そのこと自体も面白みではあったのですが、「投げ」が非常に強く、無敵技がなければ防ぎにくいゲーム性から、その後、キャラ選びの前提に“無敵技の有無”が加わっていくように。その後はシリーズを重ねる度、結果として後付け的に、多くのキャラクターに無敵技が実装されることになっていきました。そうしてキャラクターの個性よりもプレイヤーたちの要請による「戦うための性能」が重視されるようになり、更にはブームによる多作多売も相まって、次第にキャラクターたちはほんのりと味付けされた記号の集まりのようになっていきます。

 そこでゲーマーたちが“好きなキャラクター”を見出すために、逆説的に大事になってきたのが、性能以外の部分、つまりビジュアルやアクション、台詞や設定のカッコよさなど、僕の言葉でいうところの「股間をうずかせる」要素なんです。このキャラのこの勝利ポーズは格好良い!だから俺はこいつを使って勝ちたい!という、他人に説明しても「よく分からんが楽しそうだな」と言われてしまいがちなポイントですね(笑)。

 では、僕が好きになるのはどんなキャラクターなのか。そのことを真面目に考えた結果、自分でも驚いたのですが、大学時代に学んだことに行き着きました。

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