『テラスハウス』東京編、なぜカップル誕生しない? “何者かであろう”とするメンバーの特色を軸に考察
こういった“何者かであろう”とするスタンスは、自分に対して恋愛の矢印を向けてきた人物の想いに勝るものである。結果的には31th WEEKのタイトルに「Publicity Stunt」という“売名行為”を指す言葉を冠するまでになり、女子メンバーたちはおろか、一定の視聴者の期待を見事に裏切ったことは間違いない。
また凌が卒業を告げた32nd WEEKには、さらに“何者かであろう”とすることに関して別の出来事も起こっている。同エピソードでは、先述の“ザギンでシースー”事件をOAで見た愛華が、スタジオと世間からのバッシングに耐えられず、思わず号泣するシーンが映し出される。その時に彼女が口にした「『テラスハウス』に出る人間ではなかった。覚悟が足りなかった」という言葉は、ある意味で、『テラスハウス』出演をきっかけに、何者かになろうとする人物が揃ったこれまでの東京編の本質を表していたように思える。
現代のようにSNSで不特定多数の人間が好き勝手に発言できる時代において、リアリティーショーは諸刃の剣だ。なんらかの爪痕を残せた場合は、その後のキャリアを著しく上昇させるきっかけになるが、一度判断を間違うと好感度は際限なく落ち込む。振り返ってみると、そこを理解した言動が、これまでのメンバーには多く見られた。だが、それが露骨に画面から伝わってきたことは、これまでのシーズンと比べて東京編が異質だった部分ではないだろうか。
彼らがテラスハウスを通して、何者かになることを意識し、自分の人生に“確変”を起こすためにセルフブランディングに終始してきた感は否めない。それが原因で、カップルが誕生しない異例のテラスハウスが延々と記録されていくという結果を生み出してきたはずだ。
恋愛とは当然のことながら、自分よりも相手のことを思いやる気持ちがないと成立しない。その意味で今後は、何者かになろうとする者にストレートに想いをぶつけてきた花やビビのようなメンバーが、苦い経験を糧に、慎重に自分のパートナーとなり得る人物を選ぶことができたなら、待望のカップル誕生も近い将来あり得るのかもしれない。少なくとも現時点で花や愛華には好感度よりも相手を気遣い、距離を詰めてきてくれるメンバーがいる。彼女たちが彼らをどのように受け入れていくかが、今後のカップル誕生の鍵になるはずだ。
■Jun Fukunaga
音楽、映画を中心にフードや生活雑貨まで幅広く執筆する雑食性フリーランスライター。DJと音楽制作も少々。
Twitter:@LadyCitizen69
■番組情報
『TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020』
2019年5月14日よりNetflixにて毎週火曜に新エピソード先行配信(4週に1週休止)
2019年6月11日よりFODにて毎週火曜深夜0時に配信予定(4週に1週休止)
2019年7月よりフジテレビにて、地上波放送予定
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