加藤よしきの“ゲームのいけにえ”

『スターフォックス64』が教えてくれた“対戦”の楽しさ 学校の看板を賭けた隣町の少年との勝負

 ゲームに関する記事を書いておいて何だが、私は「対戦」が苦手である。生来の気質もあるが、育った環境も関係しているだろう。実家の最寄りのゲームセンターがファイナル・ファイト状態だったのである。小・中・高校生が集っていたが、トイレに行けば即カツアゲを食らい、対戦格闘ゲームで年上に勝つなどの“粗相”をすれば、最悪リアルなストレート・ファイトへ発展。世間的には格闘ゲームが流行していた時代だったが、私も一発カツアゲを食らってから足が遠のいてしまった(この時は私の財布に200円しか無かったせいで、「いや~、こりゃ貰えないよ」と不良の子も許してくれたが)。私は怖くて近寄れなかったが、「新人の不良の子が挨拶に行く場」という『マイ・フェア・レディ』的な、いわば不良の社交場と化したゲームセンターもあった。当時の私にとっては恐怖を超えて都市伝説の領域で、若い子が先輩に下克上パンチを放つも、簡単に受け止められて、「やめとけよ」……そう余裕の笑顔で警告されたと、漫画のような逸話も耳にした。

 こういった理由に加えて「単純に手先が不器用」「友だちが少なかった」等の理由もあり、私は対戦や協力という文化その物に触れることなく育った。触れることがなかったので、当然ながら腕前が上達することもなく、たまに他人の家で格ゲーをやっても強パンチ/キックだけに終始する始末。そんな様であるから、ヘタクソと罵られたのは一度や二度ではない。ゲームでボコられ、財布をボコられ、メンタルもボコられ、対戦から足が遠のいていく一方だった。まさに負のスパイラル。両親が『鉄拳』(95年)と間違えて『三國志Ⅴ』(95年)を買ってきたのも致命的だった。少年時代の私は『三國志Ⅴ』を起動しては、領地の農民を苦しめ、家来に無謀な突撃を繰り返させて憂さを晴らす、仄暗いゲーム・ライフを送っていた。そんな私が唯一、思い入れがある「対戦」をしたゲームがある。前置きが長くなったが、今回はそのゲーム……人の心を失いつつあった私を救ってくれた『スターフォックス64』(97年)について書きたい。

『スターフォックス64』(任天堂)

 『スターフォックス64』は、その名の通りニンテンドー64専用で発売されたタイトルで、ギネスに載るほどの売り上げを記録したシューティング・ゲームの金字塔的な名作である。プレイヤーは雇われ遊撃隊のリーダー、フォックスとして戦闘機アーウィンを操り、様々なステージに挑戦していく。ストーリーやキャラクターの掛け合いも楽しいが、本作の大きな魅力は単純明快ながら、やり込み甲斐のあるプレイ感だろう。

 前述のように前から来る敵を撃ち落とすのが基本スタイルだが、この敵の配置が絶妙なのだ。「倒さないと危険な敵」と「見送ってもいい敵」が混在し、前者を倒すだけでもクリアは可能だが、いわゆるスコア・アタックをやるなら後者も仕留めなければならない。危険な敵を素早く排除できるように腕を磨き、通り過ぎていく敵に攻撃を叩き込む。このギリギリ感が非常に楽しい。また一定範囲の敵を爆風で倒す「ボム」も奥が深い。複数の敵をまとめて撃墜するとスコアが加算されるため、1点でも高いスコアを狙うなら、最も多くの敵を巻き込める場面でボムを放つ必要がある。何度も何度もプレイして、敵の位置や登場するタイミングを把握し、狙い通りに敵を一網打尽に出来た時の「やってやったぜ!」という喜びは非常に大きい。まさに一人でやり込むことに特化したゲームだ。

 そして多くの人がそうだったように、私も本作に夢中になった。最初は攻略本に従って普通にクリアし、トゥルーエンド、分岐ステージ制覇などをしている内に、気がつけばスコア・アタックの虜になっていた。好きなゲームは幾つもあるが、やり込んだという点において本作を超えるゲームにまだ出会っていない。「1点でもスコアを高くするにはどうすればいいのか?」と、必死に敵の配置を分析し、自機を滑らかに動かすために練習を重ね、同じステージに何度も挑戦する。スコアが伸び悩めば、伸びるまで更にやり込む。生まれて初めて味わう「ゲームの腕前が上達する」という快感に流されるまま、誰に見せるわけでもないスコアを伸ばすため、延々と鍛錬を重ねる。そして、2年が経った。

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