“ゲームオーバー”が存在しないゲーム『ライフ イズ ストレンジ ビフォア ザ ストーム』が描く人生
また、タイムループを採用していないため、本作は不可逆的にストーリーが進行する。ゲームオーバーの存在するゲームは、クリアのシステムからはずれた行動をキャラクターにとらせた場合、最後にセーブされたポイントにキャラクターが引き戻され、プレイヤーはそこからトライ&エラーを繰り返しながら乗り越えていく。この一連の過程はまさにタイムループだ。つまり、前作は、そういった構造の連なりこそがストーリーを進めるキモになっていた。
しかし、 本作は「最後のチェックポイントから開始」という項目を選択しないかぎり、ストーリーは進行していく。逆に言えば、本作は前作と比較し、1つ1つの選択という行為の重みが増すということだ。たとえば、体育会系男子のドリューが根暗な男子ネイサンをいじめている最中に主人公クロエが割って止めに入るシーン。このとき、クロエとドリューとの間でバックトークが発生するが、この勝負に負けてしまうと、ネイサンは悲惨な目に遭い、クロエは二人からバッシングを受ける。前作をプレイし、ネイサンのことを、金持ちで、権力を振りかざす名家育ちの嫌なヤツと知っていながらも胸がいたんだ。冒頭の言葉が重くのしかかる。
『ライフ イズ ストレンジ ビフォア ザ ドリーム』は、流れくる選択肢の中から慎重に行動や言動を決めていく。主人公と心情を共有しながら常に戻れぬ人生の岐路に立たされる。それはまさしく、クロエを介した“人生”の歩みとも言えるのだ。
(文=梅澤亮介)