『VIVANT』はなぜ“粗さ”を超えて熱狂を生み出せたのか 巧みなクリフハンガーと物語の課題
下半期のテレビドラマの話題をリードしてきた日曜劇場『VIVANT』(TBS系)が、早くも今週末に最終話を迎える。7月期から2クールと言われていたが、いざ蓋を開けてみれば途中で2週の休止を挟んで計14話。当初からその予定で構成が組まれていたのかは判然としないが、この第2シーズンの主要なミッションである別班員奪還作戦を完了するまでのエピソードでざっと1クール分の11話。ジャミーン(本間さえ)をめぐる最終盤の3話は“フィナーレ”としての位置付けなのか、それとも“次への繋ぎ”となるのかで、またこのドラマの見方は変わってくることだろう。
もっとも、現状でこのドラマを評価できるか否かといえば、正直なところかなり微妙である。終盤に近付くにつれて福澤克雄ドラマのクセのようなものである大味なスタイルがより一層強まり、序盤から見受けられた詰めの甘さがより顕著になっている。加えて、以前の記事(※)でも指摘したようにブルーウォーカー(花岡すみれ)とAIハヤトに依存し、過程をすっ飛ばした“ドーパミン刺激”的なストーリーテリングであったり、スペクタクル面の弱さ(第21話の空港までの一連は見応えがあったが、それでも第1シーズンのような「よく撮ったな」と思えるほどの迫力は欠けている)。さらには世界を股にかけた多言語ドラマとしての面白味を、瞬時翻訳が可能なイヤホンで取り払ってしまったり。
こうした“映画の嘘”ならぬ“ドラマの嘘”が物語を丁寧に完成させるために作用していれば問題ないのだが、それよりも所定の放送枠に収めるためのスピード感優先で機能してしまっているように見え、妙に奥行きに乏しく、力技で納得させるだけのパワフルさも足りていない。それでも続きが気になってしまうのは、ここまで付き合ってきた惰性もあるかもしれないが、各エピソードの終わらせ方――いわゆる次話へのクリフハンガーが非常によくできているからであろう。“次週への興味をしっかりとそそる”という、連続ドラマとしての基本に関しては、職人技と呼べるほど見事である。
おそらくそれこそが、この『VIVANT』という作品の熱狂を生んだ所以であろう。シンプルに続きが気になってしまう。奇しくも近年のテレビドラマは、常にSNS上で“考察”の波にさらされつづけるもの。わかりやすいミステリーならば「犯人が誰か」だけで大体の考察は片付いてしまうが、本作の場合は「誰が味方で」「誰が敵で」という単純なところに留まらず、多方面に考察の余地を残し続ける。ひいては第1シーズンまで遡り、「あのシーン(あるいはセリフ)にはどんな意味があったのか」というところまでも。昨今の“テレビドラマの見方”に合わせながらも、連続ドラマの形式美をきちんと保つ。