“どんくさい主人公”が映す恐怖のリアル 映画『バイオハザード』にみるゲーム構造の再構築

映画『バイオハザード』が傑作になり得た理由

 カプコンの世界的な人気ホラーゲーム『バイオハザード』(Resident Evil)シリーズ。ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の映画作品も続々と製作されヒットしたことでも知られている。いま公開されている2026年の映画化新作は、話題となったホラー映画『WEAPONS ウェポンズ』(2025年)の監督ザック・クレッガーが手がけたものだ。

 その出来は、なんの文句もないどころか、出色の出来栄えだった。映画作品としても、『バイオハザード』の映画化作品としても、これまでには言えなかった「傑作」という言葉が浮かんでくる内容である。むしろ、『バイオハザード』の原作ゲームも、この設定で作ってほしかったと思えるほどである。

 いったい、何がどれほどすごいのだろうか。ここでは、本作『バイオハザード』の魅力が、どこから来ているのかを、考察していきたい。

 クレッガー監督は、もともとゲーム『バイオハザード』の大ファンだと公言している。そして今回の作品は、自分のようなサバイバル術を持たない、その点では平凡な人物が、もしこの世界に放り込まれたらどうなるのか、という思いつきを反映させたのだという。

 主人公は、医療品の配達人として働くブライアン(オースティン・エイブラムス)。「取り扱い注意」と記された医療バッグを、「ラクーンシティ」の総合病院へ運ぶために、彼は雪の降る夜に乗用車を出発させる。その路上に飛び出してきたのが、血まみれの女だった。彼女に衝突してしまったブライアンは、それがもはや、人間ではない存在へと変貌していることを思い知る。襲撃から逃げ続けるなかで、ブライアンは次々と恐怖に見舞われることとなるのだ。

 主人公ブライアンの体験する出来事を追いながら、本作のストーリーは展開していく。登場するクリーチャーたちの攻撃を避けながら、彼が目的地に辿り着くには、武器が必須となる。ハンドガンやライフルの弾を、襲撃から逃げる合間に探索しながらゲットしていく流れは、ゲームの構造そのままといえる。その観点からいえば、ポール・W・S・アンダーソン監督、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の、極度にケレン味あるアクションが連続するシリーズは、ゲームの設定は押さえつつも、かなり独特のつくりだったといえる。

 興味深いのは、やはりブライアンのキャラクターである。原作ゲームをプレイしたことがある者ならとくに、“どんくささ”に気づくだろう。目の前で起きる事態をいちいち怖がり、動揺しながらミスを繰り返す。そしてなんとかぎりぎり、その場を切り抜けていくのである。

 こうした無様さを眺める感覚は、動画配信者による「ゲーム実況動画」において、下手なプレイのあたふたするリアクションを見ている感覚にも近いだろう。ブライアンのサバイバルのドラマに緊迫感を与えられながら、一方で彼の不格好な場面を笑って楽しむという、ホラーとアクション、ギャグがふんだんに盛り込まれた複雑な魅力を、観客が無理なく楽しめるというのは、この配信文化の役割が小さくなかったのかもしれない。

 しかし、よくよく考えれば、筆者を含めたゲームのプレイヤーたちも、実際にこの世界でサバイバルするとなれば、そのほとんどがブライアン以上の醜態をさらしてしまうのではないか。そういう意味では、これこそが『バイオハザード』のリアリティある映像表現なのではないか。

 近年のゲーム『バイオハザード』シリーズも、プレイするキャラクターを、サバイバルや射撃に長けた敏腕なキャラクターに設定せず、ひたすら逃げる演出を取り入れることで、恐怖を醸成させる手法を使っている場面がある。また、名作ホラー映画『悪魔のいけにえ』(1974年)のオマージュもおこなっている。そもそも、原作ゲームシリーズは、早い段階で、その先鋭的な演出がホラー映画ファンから注目されていた部分もあるのだが。

 しかし、本作ほどユーモアを反映させながら楽しく、それでいてリアリティを保ちつつ、周到にストーリー展開のインフレーションを避けながらサバイバルを楽しませるという趣向は、原作ゲームにもなかったのではないか。すでに複数のシリーズ作品をゲームでプレイしている筆者は、このバランスでゲーム版を最初から最後まで遊びたいという欲望がわきあがってきた。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる