『太陽を盗んだ男』が2026年の現代社会に突きつける問い なぜ理科教師は原爆を作ったのか

それにしても、なぜ長谷川監督はこのテーマを社会派ドラマではなく、147分の娯楽活劇として撮ったのだろう。象徴的なのが、プルトニウム強奪のシークエンスだ。青い照明に沈んだ原発は、まるで特撮ヒーローものの秘密基地。黒ずくめの城戸に、黄色い防護服の作業員たちが戦闘員さながらに飛びかかる。軽快な音楽に乗って、アクションの山場ごとに画面がストップモーションで静止する。
長谷川監督は徹底してリアリズムを遠ざけ、観客を城戸と一緒に胸躍らせてしまう。この映画の娯楽性は、観客を城戸の共犯者にするための仕掛けだ。そして何より、城戸を演じるのがジュリーこと沢田研二。「ダイナマイトでなく原爆なのがいい」(※1)と面白がって役を引き受けたという、時代のスターの軽やかさが、観客の倫理的なブレーキを外してしまう。
共犯関係は、スクリーンの外にまで広がっていた。本作が無許可のゲリラ撮影の連続だったことは、よく知られている。妊婦に扮した城戸が国会議事堂に入り込む場面も、皇居・坂下門前の場面も、公道を突っ走るカーチェイスも、白昼のデパートから偽札をばらまく場面も、許可なしで撮られた。撮影では、逮捕者まで出たという。作り手たちもまた、偽物の爆弾を本物の東京へ持ち込んでいたわけだ。

一方でこの映画は、娯楽の快感だけで観客を帰さない。被曝した城戸は歯茎から血を流し、吐き気に襲われる。長谷川監督は脚本の段階から、主人公を被曝させることにこだわっていた。広島で胎内被爆した彼は、後年こう語っている。
「原爆に泣く映画はゴマンとある。だが原爆を作ったのも人間なら、被害に遭うのも人間だ」(※2)
原爆を作った者の身体を、最初に蝕むのは原爆そのものだ。とはいえ、被曝したからといって城戸の暴力が免罪されるわけではない。行動を共にしたラジオDJの零子(池上季実子)を失っても、城戸は原爆を手放さない。悲しみさえ、彼を止める理由にはならない。そこにあるのは、作ってしまった者の空っぽさだ。
ラスト、城戸は原爆を抱えて夜の繁華街を歩いていく。『ゴジラ』の芹沢は作ったものを抱いてひとり海の底へ消えた。対して城戸は、作ったものを抱いたまま人波のなかへ入っていくのである。ぼやけたネオンの下、行き交う人々は、すぐそばで時を刻む原爆に誰ひとり気づかない。ゲリラ撮影で知らぬ間にカメラに収まった通行人たちと、この人波は重なって見える。チクタクというタイマーの音が続き、やがて爆発音が響いて映画は終わる。焼け野原は映らない。最後に残るのは、口元に血をにじませた、原爆を作った男の顔だ。
城戸の共犯者だった観客は、ここで突き放される。爆発の結果を見せられないまま、何が起きたのかを想像するしかない。冒頭で生徒たちが原発を安全な距離から眺めていたように、観客もまた、核を外側から「見学」する場所に置き去りにされるのだ。

では、47年後のいま、この映画を観る意味はどこにあるのか。
ストーンズはその後何度も来日し、プロ野球は配信で最後まで観られるようになった。城戸の要求そのものは、もはや特別なものではない。むしろ身近になったのは、城戸という人間のほうだ。
城戸は、二つ目の要求をラジオの公開リクエストで決めていた。国家を脅せるほどの力を手にしながら、自分が何を望むかを、見知らぬ誰かの声に委ねてしまったのだ。手元には力があるのに、それを何に使いたいのかは自分で決められない。欲しいものさえ、タイムラインのトレンドやおすすめが教えてくれる。その姿は、47年前の観客よりも、いまの私たちのほうによく似ている。
核そのものも、遠い過去の話ではなくなった。核の威嚇が再び国際ニュースの見出しに並び、米ロの戦略核戦力を制限してきた新戦略兵器削減条約も2026年2月に失効。私たちはそうした現実を、スマートフォンの画面越しに眺めている。この映画のラストが観客を置き去りにしたあの地点は、いまや日常そのものになった。
製作の山本又一朗は今回の公開にあたり、「『太陽を盗んだ男』は“懐かしさ”で片づけてほしくない」(※3)とコメントしている。4Kでよみがえった昭和の東京を懐かしむだけなら、私たちはこの映画さえ、安全な距離から見学して終わってしまう。だが、その懐かしい街並みのど真ん中で、「作る」と「使う」のあいだの空白は、いまも口を開けている。
参照
※1、2. https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h4999
※3. https://realsound.jp/movie/2026/09/post-2531393.html
■公開情報
『太陽を盗んだ男/4Kデジタルリマスター』
10月16日(金)全国公開
出演:沢田研二、菅原文太、池上季実子、北村和夫、神山繁、佐藤慶、伊藤雄之助、風間杜夫、西田敏行、水谷豊
監督:長谷川和彦
製作:山本又一朗
プロデューサー:伊地智啓
原案:レナード・シュレイダー
脚本:レナード・シュレイダー、長谷川和彦
撮影:鈴木達夫
照明:熊谷秀夫
美術:横尾嘉良
録音:紅谷愃一
音楽:井上堯之
編曲:星勝
音楽プロデューサー:多賀英典
編集:鈴木晄
助監督:相米慎二
製作:東宝株式会社、株式会社トライストーン・エンタテイメント
配給:東宝
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