『ゴジラ-0.0』へ至る山崎貴監督の源流 『ALWAYS 三丁目の夕日』のリアリティを分析

 日本テレビ系の『金曜ロードショー』で10月23日に放送される『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)は、『ゴジラ-0.0』(2026年)の公開を控えた山崎貴監督を、大勢の人が知る人気監督に押し上げたヒット作だ。1958年(昭和33年)の東京をセットやミニチュアとVFXで再現した技術と、人間味に溢れたドラマを描く力は、やがて山﨑監督の武器となり『ゴジラ-1.0』(2023年)を経て最新作へと続いている。

 自動車修理工場でひとりの女性が掃除をしている。近くにテレビが届くらしいということで、近所の子供たちが集まってきて賑やかそう。その修理工場から息子が出ていき舗装されていない道路を走っていっては立ち止まり、ゴム動力のプロペラ飛行機を飛ばすと飛行機は空に舞い上がり、そして舗装されて路面電車が走る道路へと出ていく。

 そして高く上がったカメラが映すのは、ようやく脚の部分ができた工事中の東京タワー。そこまでをワンカットで見せる映像に、観客は知らず知らず目を引きつけられ、舞台となっている昭和33年の日本のとある町へと意識を吸い込まれる。

 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』で話題になった冒頭のシーン。山崎監督はこのシーンを、本当に1台のカメラで撮り続けるのではなく、屋内のセットとオープンセットの間に、CGのプロペラ飛行機が空を飛ぶ映像を繋いだことで作り上げた。

 ずるいといえばずるいかもしれない。だが、ここで重要なのは衆目を引きつける力を持ったそれらしい映像を作り出し、映画にとって必要だから使うという山崎監督のスタンスだ。『ゴジラ-1.0』でも、得意とするVFXを多用してゴジラという恐怖の象徴を造形し、重巡洋艦との凄絶なバトルシーンを描いてのけた。大プールに模型の船を浮かべて走らせ、着ぐるみの怪獣と戦わせるという発想はもうない。

 先人の特技監督たちは、そうしたアナログの手法でリアリティたっぷりの映像を作り出していたが、今となっては、VFXのほうがよりリアリティのある映像を撮ることができる。観客も納得してくれる。『ALWAYS 三丁目の夕日』はもしかしたら、そうしたことを山﨑監督が自覚し、作り出す映像に自信を持つきっかけになった映画かもしれない。同時に、観客がVFXによって描かれる実在の風景を、悪いものではないと思い始めた映画かもしれない。

 ただし、そこにはどこまでも緻密に再現されたセットやミニチュアといったものがあり、衣装やメイクや演技力によって、舞台となっている時代や場所の人間になりきった役者がいることを、忘れてはいけない。『ALWAYS 三丁目の夕日』の場合は、昭和33年という時代に存在しただろう町並みが、自動車修理工場から駄菓子屋から居酒屋からそれらが並ぶ路地までしっかりと造形されている。

 そこに暮らす人々も、頑固一徹で小さな町の修理工場に誇りを持ち、いつか世界に出たいと夢見る堤真一演じる鈴木オート社長だったり、実家を勘当されて親戚の駄菓子屋で店番をしながら小説を書いていて、いつか芥川賞を取りたいと願っている吉岡秀隆演じる茶川竜之介だったりと、当時にいそうなキャラクターが設定されている。原作が西岸良平の漫画だけに、ややカリカチュアされたところもあるが、それも含めて思い出の中の昭和33年を、映画の中に作り上げ、関心を誘うことに成功した。

 集団就職も当時には普通にあったこと。それで上京した、堀北真希が演じる星野六子の作業着が、きれいすぎる気もしないでもない。それを言うなら、戦争からの復興途上にある町並みが逆に雑然としすぎているところもある。写真やニュースの中のリアルをそのまま再現するのではなく、ノイズなりカリカチュアを混ぜることで観る人の安心感を誘おうとしたのかもしれない。結果、32億円という興行収入を上げ、第29回日本アカデミー賞で最優秀作品賞や最優秀監督賞をはじめ12部門の最優秀賞を獲得する、1年を代表する映画になった。

 そうした例に倣えば、『ゴジラ-1.0』にも終戦直後の日本のリアルな風景の中に、少しのノイズやカリカチュアが混じっていて、それが関心や感動の源になっているかもしれない。誰もが正義に対してまっすぐだというところがそうだと言われればそうかもしれない。ただ、そこはむしろポジティブに評価して、シニカルで冷笑的になっている社会に今一度前向きで熱い気持ちを取り戻させようとしているのだと解釈し、受け入れたいものだ。

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