深田晃司、『ナギダイアリー』で悲劇を“表”にしなかった理由 「人生の大半は劇的ではない」

『淵に立つ』『LOVE LIFE』『恋愛裁判』と、日常に潜む違和感や、人と人との関係性の揺らぎ・孤独を描きながら、社会の構造までも浮き彫りにしてきた深田晃司監督。これまでは、時に観る者を揺さぶる悲劇や衝撃的な展開を通して、その背後にある人間の姿を見つめてきたが、現在公開中の最新作『ナギダイアリー』で選んだのは、岡山県奈義町をモデルにした「ナギ」を舞台に、喪失と葛藤を抱える人々の“日常”を描くことだった。
「私たちの生きる本質は『エモーショナルじゃない方』にあるんじゃないか」。なぜ深田監督は今、“劇的ではない日常”を映画の中心に据えたのか。奈義町との出会いから、松たか子、石橋静河という対照的な俳優を迎えた理由、そして映画を通して社会の「透明化された存在」を見つめる理由まで、たっぷりと語ってもらった。
松たか子と石橋静河がもたらした“化学反応”

ーー本作の企画の成り立ちについて教えてください。もともとは平田オリザさんの戯曲『東京ノート』が発端だったそうですね。
深田晃司(以下、深田):もともとは、奈義町現代美術館で『東京ノート』を映画化できるのではないかと、平田オリザさんから提案を受けたのが始まりです。『東京ノート』は美術館を舞台にした演劇で、実際の美術館のロビーなどでも公演されているので、あの空間でもできるのではないかと思ったんです。私も『東京ノート』はとても好きな戯曲だったので、実際に奈義町現代美術館へ観に行きました。
ーー実際に奈義町現代美術館へ行かれてみて、いかがでしたか?
深田:ただ、実際に観てみて「ここで東京からスタッフを連れてきて、東京の物語を撮るのはもったいないな」と感じました。奈義町現代美術館は、空間そのものが美術作品になっているような、非常に土地への固有性の強い空間です。これは奈義町の文脈の中で作るべき作品だと思いましたし、何より奈義町という町そのものに関心が向きました。人口6000人ほどののどかな景色の中に忽然と現代美術館が建っていて、自衛隊の駐屯地があるから戦車ともすれ違う。そうした不思議な空気を見て、奈義町の人たちに出てもらい、奈義町を舞台にした映画にしてみたいと思うようになったんです。
ーー日本の田舎を舞台にした作品にありがちな“じめっぽさ”や閉鎖性がなく、自然との共存が美しく描かれているのが印象的でした。
深田:基本的には景色ではなく人間を中心に構造を作っていくので、地方だからといって撮り方を変えることはしていません。「田舎」を極端に強調するような絵は撮っていないということが一つあります。また、東京の人間がアウェイである地方のコミュニティを描く際、牧歌的な田舎讃歌か、あるいは村社会の閉鎖的な部分かと両極端に描かれがちですよね。もちろん、家父長制の問題など向き合わざるをえませんが、そこには様々な歴史と文脈が絡んでいることは間違いなくて、そうした背景を無視して現代の視点からただ批判的に描くのは避けたいと思いました。

ーー今回、松たか子さんと石橋静河さんとは映画初タッグとなります。まずは松さんのキャスティングの経緯と印象からお聞かせください。
深田:お二人のキャスティングはプロデューサーと相談しながら決めていきました。松さん演じる寄子は、地方で独身で一人暮らしをしています。早婚を期待されやすい地域ではそれだけで目立ってしまい、特異な存在になりがちです。でも松さんであれば、そういったコミュニティにいながらも過度に悲壮感を背負うことなく、一人で暮らしている女性をカラッと演じてもらえるのではないかと考えました。
ーー実際に松さんとご一緒されてみて、いかがでしたか?
深田:自分はいつも、役をそのまま俳優にトレースしてもらうのではなく、役とテキストの中間あたりで混ざり合ってほしいと思っているんですけど、自分には想定できないような“化学反応”を起こしてくれたのは松さんだったなと思います。芝居がすごく自由で、良い意味で“動物的”なんです。動物や風に揺れる木々が被写体として優れているように、次にどう動くか、何を喋るのかが分からなくてドキドキさせられる緊張感がある。俳優が演技でその鮮度を保ち、観客を惹きつけるのは簡単なことではありませんが、松さんはそこを軽々と超えていくようなイメージがありましたね。
ーー石橋さんはいかがでしたか?
深田:石橋さんは松さんとは対照的で、私たちの日常の仕草や喋り方の“近似値”をきちんと出すことができる方です。「普段生きて喋るってこういう感じだよね」と誰もが納得できるような芝居を差し出してくれる。そういう意味では「劇団青年団」の現代口語演劇を演じる俳優たちの芝居に近い印象があって、私にとっては安心して委ねられるお芝居でした。
表現が抗うべき社会の“透明化”

ーー東京から来た友梨と、ナギで暮らす寄子。この二人の対照的な姿から、都市と地方の対比を感じました。
深田:今回の映画の世界観として、都市と地方の対比はあると思います。ただ、それは「東京は便利で、田舎は不自由だ」という単純な話ではなく、人生における「選択肢」の問題だと思っています。都市にいると交通手段も仕事も、どこに住むかといった人生の選択肢もたくさんあるように思えます。一方で地方は、奈義町のように電車が通っていなかったりする車社会も多く、仕事の選択肢も限られている。
ーー「選択肢」について、実際に奈義町で取材を進める中で実感したこともあるのでしょうか?
深田:そうですね。例えば奈義町の中学生に取材をしたとき、「自分は長男で家を継がないといけないから、いろんな仕事には就けない」と当たり前のように言っていて、中学生でその覚悟を持っていることに驚きました。住む家にしても、先祖代々受け継いでいる土地があればそこを受け継いでいくという義務感のようなものも生じてくるわけで、選択肢が狭められている側面は間違いなくあるんです。でも一方で、そうした不自由さの中では窮屈に生きざるをえないと捉えるのは都会の傲慢かもしれないと思うくらい、奈義町の人々の多くは生き生きと生きていました。都市から来た石橋さんが端正な芝居をする中で、地方にいる松さんがすごく自由な芝居をしている。その対比はすごく面白いなと思いましたね。
ーー本作では「性的マイノリティ」を一つのテーマとして描かれていました。
深田:私としては「特別なテーマ」を掲げたわけではなく、「当たり前にそこにいる存在」という感覚でした。でも、現実には「当たり前にいるはずなのに、透明にされてしまっている」という実情があります。奈義町で取材をしていて、いろんな良い話を聞けたり面白い人に出会えたりしたのですが、一方でどうしても出会えない属性の人たちがセクシュアルマイノリティの方々だったんです。奈義町に限ったことではないですが、統計的にいないわけがないのに、透明化させられている状況がある。であれば、表現がすべきことは、社会の差別的な空気感を表現までもが内面化してしまうことなく、きちんと描くこと、透明化させないことだと思ったんです。それは表現の大きな意義の一つだと思っています。




















