清水崇版『八つ墓村』は“父”を否定する“仮面の告発”ホラーだ 数々の独創を読み解く
清水崇監督版『八つ墓村』は賛否が分かれている。批判の多くは「これは『八つ墓村』ではない」と指摘するものだ。しかし、それはいったいどの『八つ墓村』を指すのだろうか。1949年から連載された横溝正史の原作小説か。あるいは名作と誉れ高い1977年の野村芳太郎監督版の映画か。それとも1996年の市川崑監督版か。
角川春樹の製作によって市川崑監督の横溝正史原作ものである『犬神家の一族』が映画化されたのは、『八つ墓村』よりも1年前の1976年。忘れ去られていた横溝正史を文庫化するために角川春樹が発掘した、という説明がよくされるが、実は少し違う。1968年から影丸穣也が漫画『八つ墓村』を連載し、NET(現・テレビ朝日)系で『怪奇ロマン劇場 第12回』(1969年)で田村正和が辰弥に扮した『八つ墓村』が47分のドラマにされ、1970年に『犬神家の一族』が金田一の登場しないドラマ『蒼いけものたち』として日本テレビ系で制作されていた。同年には講談社から全集も刊行される。また、NHK総合の「銀河ドラマ」枠で『サスペンスシリーズ 八つ墓村』(1971年)もつくられている。角川の企画以前に横溝リバイバルがすでに存在したのである。
さらに、新作『八つ墓村』を考える上で重要なのは、横溝リバイバルが原作の様々な翻案(アダプテーション)によって成立していたということだ。つまり、1970年前後の時点で横溝自体は原作から遠いところで蘇っていたのである。
そこで、すこし遠回りになるが、まずは原作と野村版『八つ墓村』を並べつつ観るところから始めよう。
※本記事では、『八つ墓村』のストーリーの核心についての記述があります。
寺田辰弥(清水版では井川辰弥)は、大地主の田治見家の跡取りになるべく八つ墓村を訪れる。戦国時代に尼子一族の落武者八名が村に逃げ延びてきたものの、財宝と懸賞金を目当てに村人たちが竹槍や山刀で惨殺された村である。野村版『八つ墓村』の「落武者殺し」は、ヤマタノオロチ退治の神楽が演じられる祭りの場で行われた。落武者たちは毒入りの酒を飲まされ、村人の竹槍で突かれ殺されてゆく。祝祭の場で酒を使った「大蛇殺し」と「落武者殺し」が同時に行われたのだ(ちなみに、新作で呼び起こされるのはアマテラスオオミカミの伝説であり、これはおそらく尼子一族の出身出雲の国にちなんでいる)。そして、落武者の祟りのためか、首謀者の田治見庄左衛門は狂乱し、八名が変死したのである。
「落武者殺し」は日本に根づいた恐怖だろう。たとえば、『七人の侍』(1954年)において、農家に隠された落武者狩りで奪われた武具に喜ぶ菊千代(三船敏郎)にたいして、島田勘兵衛(志村喬)は「落武者になって竹槍で追われた者でなければ、この気持ちはわからん」と語る。「落武者殺し」は「六部殺し」の伝説とも重なる点が存在する。ある家の男が旅の巡礼者の六部を泊めるが、所持金に目がくらみ殺害する。家に子どもが生まれるが、その顔は祟りのために六部と同じになり、「俺を殺したのはこんな晩だったね」と子どもが喋りだす。いずれにしても、原作では一頁ほどの「落武者殺し」は映画の大きな見せ場になっており、村の閉鎖性を物語る仕掛けにもなっている。
野村版で仮面をつけた庄左衛門は、ヤマタノオロチに酒を飲ませ退治するスサノオを演じていた。大蛇退治の「英雄」は落武者殺しの「殺人者」なのである。人は二つの顔をそなえている。野村版のこの場面は、田中邦衛や夏八木勲が惨殺され、首を切られても飛んだ首が噛みつく、小泉八雲の短編小説『ろくろ首』(1904年)にも負けないホラー的場面となっている。
「英雄」かつ「殺人者」だった庄左衛門の子孫である要蔵は、妾にしていた井川鶴子(辰弥の母)が逃げだしたことに逆上し、村人32人を惨殺する。これは、岡山県で1938年に実際に起こった都井睦雄による「津山30人殺し」がモチーフだ。因縁の村に帰ってきた息子の辰弥は、濃茶の尼に「お前が帰ってくると血の雨が降るぞ」と警告される。そして、次々に村人が殺されてゆく。相続に絡む連続殺人か。それとも先祖の祟りか。
野村版では山崎努が要蔵を演じ、狂気をみなぎらせ桜の木々の下を駆け抜ける。ところが、この惨殺も原作では一頁半ほどで、これも映画が補強した名場面である。野村版の呪縛の強さは測り知れない。あたかも映画史の子々孫々に「祟る」かのようなものだ。そして、野村版自体も、最後に落武者の亡霊が登場し、ミステリーをオカルトに転化した点ですでに原作と違う。父権的にたとえれば、横溝の原作が「祖父」なら、野村版は「父」、そして無数の「子供」がいる。今回の清水版もその一人である。清水版では要蔵の息子・久弥がしきりに「親父のようにはなりたくないんじゃ」と言っていた。これは、清水監督のメッセージだ。庄左衛門は自分の首を「切り」、要蔵は逃げた鶴子と辰弥の首を「切ろう」とする。「親父になりたくない」と「切断」のモチーフは、父親的存在としての野村版を模倣せず、その呪いを「断ち切る」宣言である。