『風、薫る』はなぜ“人生のゴール”を描かなかったのか 新しい朝ドラが示した生き方

 全26週間駆け抜けたNHK連続テレビ小説『風、薫る』。最終回まで見届けたうえで、通算114作目に当たる本作に見られた新規性や意義について改めて考えてみたい。新規性として、少なくとも2つのポイントが挙げられる。

 まず1つ目は、ヒロインを2人にすることで異なる個性を並行して描き、多様性社会に寄り添った点だ。もう1つは、男性キャラクターとの決定的なゴール(結婚)を描かなかったことで、女性の幸福の到達点(ドラマ内では「人生双六の上がり」として象徴的に描かれた)が必ずしも結婚ではないという提示を行ったことである。

 『風、薫る』は、まずオファーで決まった見上愛(りん役)が最初に発表され、同時にバディとなるもう1人の主人公をオーディションで選考することが発表された。その後、直美役に上坂樹里が決まった。

 人気・実力・安心感がある程度見込めるオファー枠の主人公は、手堅い反面、新鮮味に欠ける部分もある。一方で、すべてが未知数なフレッシュなオーディション枠の主人公には期待と同時に不安も残る。それぞれのメリット・デメリットを補い合う両輪となる「ダブル主演」という発想は名案だった。

 だがその一方で、2人分の物語をほぼ対等な配分で描くことは、半年間という長尺であっても容易ではない。結果として一つひとつのエピソードが駆け足になり、物足りなさを生んでしまった側面も否定できない。逆に後半、りんと直美が看護婦会や養成所を経営するフェーズに入るとテンポがゆったりとしすぎて、物語の展開が停滞してしまった。全体のペース配分や設計の難しさも、ダブル主人公という重みゆえの課題だったのではないだろうか。

 物語は、モデルとなった人物の歴史的背景(関東大震災や身内の死など重厚なエピソード)は大きく盛り込まれず、看護に携わる者の日常を描く穏やかなトーンへとシフトしていった。第26週「道標」(演出:佐々木善春)では、りんが「実践看護法」を出版。看護師だけでなく一般の人々にも役立つ、家庭の医学書のような一冊が誕生した。最終回には日本ではじめての看護婦養成学校の第一期生の仲間・多江(生田絵梨花)が登場し、帝都医大付属病院の看護婦長として看護婦の賃上げを勝ち取ったと報告する。看護の黎明期を支え、奮闘した者たちがこれからも活躍していくという希望の中で、物語は幕を閉じる。

 ラストは、負傷者が多数出た事故現場へりんと直美が毅然と向かっていく「俺たちの戦いはこれからだ」と言わんばかりの展開。さらに、現代の看護現場へと転生した(?)2人が働いている姿が重なる演出のコンボであった。

 本作は最後まで「女性2人のバディ物語」であることを貫き、彼女たちと思わせぶりに深く関わってきた男性陣と誰一人結ばれることのないまま終わった。

 中でも最も驚かされたのは、シマケン(佐野晶哉)の扱いだ。第25週で生死の境をさまよい奇跡的に生還したものの、第26週ではりんと元の鞘に収まることはなく、派出看護の終了と共にお別れとなってしまう。最終回では虎太郎(小林虎之介)と飲み友達になっており、シマケンも虎太郎も、相変わらずりんへの思いを抱きつつも、その先の関係には進めていない絶妙な距離感を保っていた。

 胃がんの手術をした時点でシマケンが38歳ということは、虎太郎もりんもアラフォー世代を迎えているはずだ。しかし、彼らに結婚という選択肢があるのかどうかすら明かされない。

 そんな彼らのたまり場となっているのが、チュウ(若林時英)の店だ。チュウは新作のクリームパンを2人に振る舞い、「世界中の美味しいものをパンに包みたい」と夢を語る(カレーパンや月餅やピロシキのような発想だろうか)。ちなみに、チュウの店は「新宿中村屋」がモチーフではないかと言われている。田中ひかる著『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)によると、「中村屋」の創始者はりんのモデルである大関和と交流があり、彼女が晩年病に伏した際も経済的支援やお見舞いを続けていたという。それはさておき、チュウ自身も所帯を持っているのかどうかは描かれていない。

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