『風、薫る』が示した“社会”への視点 命をはぐくみ支える開かれた場所としての社会像

 『風、薫る』(NHK総合)は最終週が放送されている。日本における近代看護のパイオニアを描いた今作を語る上で「社会」に対する視点を欠くことはできない。これまでの放送でも随所に現れていたが、最終盤で「社会」というテーマが鮮明に浮かび上がってきた。

 『風、薫る』で最初に「社会」という言葉が登場するのは物語序盤の第2週。婚家を飛び出したりん(見上愛)が東京で出会う実業家・清水卯三郎(坂東彌十郎)は、りんの言葉を受けてこう言う。

「社会だ。ソサイエティという言葉を試行錯誤して何とか日本語にした言葉だ。(中略)女も男も、強い人も弱い人もいて社会」

 作中で「社会」という言葉は要所で顔を出すが、その含意は比較的明確である。「社会」は新しい造語であり、江戸時代までは地縁・血縁に基づく「世間」が主で、公的な性質を帯びる言葉として導入された経緯がある。

 縁もゆかりもない見ず知らずの他人同士が、寄り集まって生きる場が社会というイメージだろうか。故郷と親戚を振り捨て、身一つで生きる決意をしたりんが足を踏み入れるのが、生起しつつある日本の近代社会だったことは物語のバックグラウンドとして重要である。

 続く第4週のタイトルは「私たちのソサイエティ」だった。アメリカ帰りの才媛・大山捨松(多部未華子)は、りんと直美(上坂樹里)にトレインドナースになってはどうかと勧める。りんはシングルマザーとして娘を養育するため、直美は生い立ちを偽っていたことがバレて心機一転やり直すために、それぞれ看護の世界に飛び込む。

 専門教育を受けた看護婦という職業は当時の日本になかった。未知の仕事に踏み出す先駆者として女性が自立して生きる物語に、早い段階で社会という補助線が引かれていた。

 『風、薫る』で描かれる社会には特徴がある。それは、制度の網の目からこぼれ落ちる人々への視点だ。りんや直美自身、世間の主流から外れた場所に属しており、社会の一員になるための生業として看護を選んだといえる。

 医療・看護は病を癒し、生命を守るところに本質がある。時代によって医療倫理の基準に変遷はあるものの、基本的に家柄や身分、男女の区別はない。誰もが生存の権利があることが前提となっている。弱者とされる赤ん坊や老人、障がいを持つ人にも、医療を受ける権利が保障されている。看護と社会の接点をここに見いだすことができる。

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