『まどマギ ワルプルギスの廻天』ラストはなぜ賛否両論? TVシリーズから辿る“決断”の変遷

※本稿は『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』のネタバレを含みます。
約13年ぶりとなる『魔法少女まどか☆マギカ』シリーズの最新作として公開された『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』。観客動員数100万人を突破するなど、商業的には大ヒットを記録している同作だが、長年のファンのあいだでは賛否の声が上がっている。
なぜ同作の結末は、ここまで評価が大きく分かれているのか。それはおそらく「前作『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』(2013年)の結末が覆されてしまったように見える」という点が大きいだろう。
まずは同シリーズの設定とあらすじをざっくりと振り返っておこう。そもそもこの物語は、鹿目まどかという平凡な女子中学生とミステリアスな転校生・暁美ほむらの出会いから始まった。

TVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)では、まどかが人間に災いをなす魔女と戦う“魔法少女”という存在について知り、その戦いに巻き込まれていくことに。苦悩と葛藤のなかで、「魔女は魔法少女から生まれる」という事実に直面する。そして最終的にまどかは、魔法少女が絶望せずに済む世界を作ることを決断。「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい」という願いを叶えるとともに、自身は「円環の理」と呼ばれる概念へと昇華されるのだった。
それに続く『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』では、ほむらを主人公とした物語が描かれた。仲間たちと支え合いながら、ナイトメアという存在を相手に戦う幸せな日々。しかしやがてほむらはこの世界に違和感を抱き、魔女と化しつつあった自分が捏造した空間だったことに気付いてしまう。

物語の終盤、世界が崩壊して「円環の理」が迎えに来たところで、ほむらは消滅を受け入れず、「悪魔」となって世界を作り変えることを選ぶ。それはシステムとしての「円環の理」から、まどかの人間としての部分を切り離すという試みだった。ほむらの願いは何よりもまどかの幸せにあったため、「まどかだけが人間としての幸福を手放す」という不条理を許せなかったのだ。こうしてふたたび、まどかの存在が世界に取り戻されることになった。
そして最新作『ワルプルギスの廻天』では、悪魔となったほむらの君臨する世界が描かれることに。そこにほむらの知らない魔法少女たちがやってきたことから、物語が思いも寄らない方向へと動いていく。

詳細な展開については実際に鑑賞して確かめてみてほしいが、今作の終盤はまどかの人間としての幸せを願うほむらと、まどかを取り戻そうとする「円環の理」の対決が大きな山場となっている。そしてラストシーンには、まどかが眠るほむらに語りかけた後に姿を消す……といった描写が残されていた。
解釈の余地を大きく残すエンディングだったが、ファンのあいだではこれを「まどかが円環の理に戻り、ほむらが取り残された」という描写と受け止める人も多い。そのため『叛逆の物語』で描かれたほむらの決断が“なかったこと”になったとして、不満の声が上がっているようだ。
しかし今作で描かれたのは、本当に物語をリセットするだけのエンディングだったのだろうか。これまでの展開を別の角度から振り返れば、新たな光を当てることができるように思われる。




















