『ヌーヴェルヴァーグ』が映し出す“創作の衝動” 誰もが“初めて”に立ち返る傑作に

1959年のパリを追体験する“没入装置”

 映画を観る人にも、作る人にも、必ず一度は"ガツンと衝撃を受けた"瞬間がある。生まれて初めて、映画というものに殴られたような感覚を覚えた瞬間だ。リチャード・リンクレイター監督の『ヌーヴェルヴァーグ』は、その衝動と衝撃を、頭で理解するのではなく、実際に"中に入って"追体験させるように作られた映画である。舞台は1959年のパリ。無名の映画評論家、28歳のジャン=リュック・ゴダールと仲間たちが、わずか20日間で初監督作品『勝手にしやがれ』(1960年)を撮り上げるまでを、1本の青春映画にしている。モノクロ、アカデミー比率(1:1.37)、ほぼ全編フランス語というスタイルそのものが、まるごとその時代への没入装置になる。

 リンクレイターは、もともと“時間”と“記録”に執着してきた作家だ。『6才のボクが、大人になるまで。』(2014年)では12年かけて家族役を演じる俳優たちの経年をドキュメンタリーかのように撮り続け、『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995年)をはじめとする『ビフォア』3部作では、1組の男女の対話を中心に、時間を、年齢を重ねることで変わっていく人間関係を描いた。『ウェイキング・ライフ』(2001年)や『スキャナー・ダークリー』(2006年)では、実写映像をフレームごとにデジタルでなぞって彩色する“ロトスコープ”の手法をいち早く取り入れ、『スクール・オブ・ロック』(2003年)や『がんばれ!ベアーズ ニュー・シーズン』(2005年)などのスタジオ作品も手がける。

徹底された“記録”への執着

映画『ヌーヴェルヴァーグ』本予告

 実験映画からエンターテインメント作品まで、“映画”というメディアの可能性を淡々と実験し続けてきたリンクレイターが今作でカメラを向けたのは、1959年のパリで映画に取り憑かれていた若者たちだった。劇中でゴダールが手にするカメラは実際に『勝手にしやがれ』を撮った当時の実機、背景のエキストラ一人にいたるまで当時の記録から探し出してキャスティングしたという徹底ぶりも、彼らしい“記録”の延長線上にある。音楽は当時の若者たちが実際に聴いていたジャズを基準に選び、フィルムに刻まれた黒い点やスクラッチ痕さえデジタルで描き加えた。撮影に関わった全員が「今は1959年で、僕らはこの男の初監督作品の現場で、ヌーヴェルヴァーグの面々とただ一緒に過ごしている」という感覚を共有していたという。まるで、2025年に若者たちのドキュメンタリーを撮っているかのように。「重要な歴史映画を作っているわけではありません。1959年に作られた映画が、2025年に再発見されたようなものです」と監督本人も語っている。

 実際、『ヌーヴェルヴァーグ』は、初長編監督作『スラッカー』(1991年)の撮影時を、リンクレイター自身が追体験しているような作品とも言える。「映画を撮りたい、自分たちならできるはず」という、若者らしい思い上がりと欲望が動かす衝動を描き、いわば『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』(2016年)の映画製作版だと言ってもいい。リンクレイターはこう振り返っている。「この映画は初監督作品を作ることについての映画だと言えます。とても若く自信に満ち、可能性に胸を躍らせながらも、経験がないために少し不安でもある。その高揚感と不安感をあますところなく捉えようとしていました」。

無名の俳優たちが体現する“初めて”の熱量

 キャストもまた、ほぼ無名の俳優たちで固められた。ゴダール役のギヨーム・マルベックにとって本作は、演技自体が初体験だった。ジーン・セバーグ役のゾーイ・ドゥイッチはリンクレイター監督の『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』に出演するなど、英語劇での経験は豊富だが、撮影の2年前から個人指導でフランス語を学び始めて役に備えたという。経験の浅さそのものを味方につけるようなキャスティングもまた、『勝手にしやがれ』が当時の無名の若者たちによって撮られたことへのささやかな呼応とも言える。撮影中、リンクレイター自身も「まるで28歳に戻ってこの映画を作っているような感覚だった。30年を超えるキャリアで培ってきたものを、いったん脇に置く必要があった」と、友人に語っていたという。

 ゴダールという"アイコン"を演じる重圧について、マルベックはシネフィルたちが待ち構える“闘技場”に足を踏み入れるような感覚だったと明かしている。それでもプレミアが行われたカンヌ映画祭やゴダールをよく知る人々は、この映画を好意的に受け入れた。ゴダールの最期まで側にいた弁護士は、「彼ならきっと、この映画に小さな笑みを浮かべただろう」と、リンクレイターに伝えたそうだ。「もし彼が存命だったら、僕はかなり緊張していたはずだけれど」と、筆者とのインタビューで彼は付け加えていた。

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