『マンダロリアン・アンド・グローグー』は誰と戦っていたのか 空虚な戦争と父子の物語に
久しぶりにアニメ映画ではなく洋画の公開日にオープン前から劇場に並んだ。残念ながら見通しの甘かった筆者は、お目当てのAT-ATポップコーンボックスもグローグーのドリンクカップも何も手に入れられず「完売」の文字にガッカリする羽目になるのだが、ここまで多くの人が“洋画”の“グッズ”を欲しがったり夢中になったりする“熱”を久々に感じられたように思う。7年ぶりに『スター・ウォーズ』映画が劇場公開される事象がどういうことなのか、その底力を目の当たりにできたことに意味があった、そう思いたい。さて、そんな多大な期待感を背負った『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』は1本の映画として、どうだったのか、何を描いたのか。
独立した物語と、ファンの熱量に寄り添う構造のアンバランスさ
本作は、ディズニープラスで絶大な人気を誇るドラマシリーズ『マンダロリアン』の劇場版だ。強大なフォースを秘めた孤児のグローグーと、彼を守り抜くことを決意した孤高の賞金稼ぎ、ディン・ジャリンことマンダロリアン(ペドロ・パスカル)の冒険と絆が描かれる。本作ではドラマ本編からある種独立し、成長した2人が新共和国から受けた依頼に挑む姿が描かれている。
現在の『スター・ウォーズ』シリーズは、ディズニープラスのドラマ群も含めるとかなりの情報量があり、新規層にはややハードルが高くなっている。それに対し、本作は「前知識・事前予習必要なし」という謳い文句の通り、ここから『マンダロリアン』の世界に触れられる気軽さを備えている。一本の映画内で、2人の「父と子」のような温かい関係性が伝わってくる作りだ。
一方、本作が極めてキャラクター主導の作品であり、既存のファンの熱量やロア(公式設定・歴史)にかなり寄りかかっていることは否めない。マンダロリアンとグローグーがこれまで築き上げてきた歴史の重みや、後述するロッタ・ザ・ハットがアニメ映画『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』で初登場した際の背景など、ファン自身の事前知識と思い入れがあってこそ、100%の感動を味わえる構造になっている。予習なしでも楽しめるが、本作の核である「絆」の深さやカタルシスは、観客側がすでに持っている彼らへの「愛情」に依存している部分が大きく、映画単体の語り口としてはやや観客に甘えているように感じる瞬間があるのも事実だ。
「父の影」からの脱却と、アクションと愛らしさの狭間で
物語において特筆すべきは、ジャバ・ザ・ハットの息子であるロッタ(ジェレミー・アレン・ホワイト)の存在感だ。事前の予想に反して、マンダロリアンとグローグーの物語以上に、ロッタの精神的な成長や葛藤がストーリーの大きな軸を担っている。
「父親とは違う人間になりたい」――偉大かつ強大な悪のカリスマであった父の影から抜け出し、自分の意志で自らの道を選択しようとするロッタの姿。一見すると、主人公2人の出番を食っているように感じるかもしれないが、この「父親像からの脱却」こそ、ルーク・スカイウォーカーをはじめとする歴代の『スター・ウォーズ』の主人公たちが辿ってきた、極めて伝統的で王道なテーマなのだ。マンドーとグローグーは、そんなロッタの自立の物語に介入し、導く存在として機能する。彼ら自身の「親子の絆」を描きつつ、他者の「父子の呪縛からの解放」を見守るという重層的なプロットは、ファンに深く刺さるものがある。
キャラクターの魅力を引き出す演出も随所に光る。特に冒頭のアクションシーンは、マンドーがいかに腕利きの賞金稼ぎであるか、その“激強”な戦闘スタイルが瞬時に理解できるものになっていて、純粋にこちらのワクワク感を高めてくれる。まさにカッコよくてスクリーン映えする、『スター・ウォーズ』的なシークエンスだ。
一方、本作はアクションシーンだけが良いというわけではない。映画の後半で毒に倒れたマンドーをグローグーが懸命に世話するシーンも、ハイライトの一つと言える。劇中では常に愛らしいグローグーの魅力が爆発しており、ファンにとっては永遠に観ていられるような至福の時間だ。「父と子」の絆に焦点を当てる映画だからこそ、挑戦的なことだとわかった上で、このシークエンスに力を入れた制作陣の愛は痛いほど伝わってくる。ただ、客観的な映画のテンポ感として見ると、やはりパペットであるグローグーの愛らしい歩みや動きに合わせるように物語全体のスピードが失速し、アクション映画としての推進力との間で、ややバランスの難しさを感じさせる部分でもあった。