『呪術廻戦』“修羅の道”を進むと決めた伏黒恵の人物像 そこに滲む諦念と覚悟を見つめる
「俺は正義の味方(ヒーロー)じゃない。呪術師だ」
これは「呪胎戴天」編で宿儺に体を奪われ、心臓をもがれた状態で意識を戻した虎杖悠仁に対し、伏黒恵が言ったセリフだ。
過去の呪術師レジィ・スターと黄櫨折、針千鈞、麗美と伏黒の戦いを大迫力で描いたアニメ『呪術廻戦』第57話「東京第一結界④」。戦闘描写の魅力はもちろんのこと、虎杖と別れ、“個人”となった伏黒の人間性に大きく焦点を当てる回としての見どころが多かった。彼を騙してレジィのもとに誘い出した麗美とのやりとり、そして彼の“最初の点”となった針との戦いの中で、ふと先の台詞を回顧する。
本稿では、この一戦から浮かび上がる彼の“覚悟”と人間性、キャラクターとしての本質について紐解いていきたい。
救うべきか、否か
伏黒恵は、物語の初期から「自分は正義の味方ではない」と公言してきた。しかし、その言葉の本当の重みが誰の目にも明らかになったのが、このレジィ戦である。
渋谷事変で意図せずとも大量虐殺を行ってしまった虎杖が「不殺」や「命の価値」に苦悩し、自身の行動に道徳的な葛藤を抱え続けるのとは対照的に、死滅回游における伏黒の行動原理は極めてシンプルで冷徹だ。「姉・津美紀を救うためなら、点のために人を殺すことを厭わない」。そこに迷いは一切ない。虎杖の心が日車寛見との邂逅と彼の言葉によって少しだけ救われた一方で、伏黒は麗美によって修羅の道に誘われるのだった。
麗美は一見、伏黒をレジィとの戦いに誘い込むだけのために登場したキャラクターに思えるが、そうではない。この物語における彼女の存在意義は、虎杖や仲間と共に行動していない時の……つまり、1人になった時にようやく見られるような伏黒の本来の態度や姿勢、そして“人間くささ”を引き出してくれる重要なものなのだ。
「騙すようなことをしたら殺す」と暗に(しかし明確に)麗美に意思表明していた伏黒。彼女がどれだけ甘言と色仕掛けによってすり寄っても、その態度は冷たかった。そしてレジィの元にやってきた時、彼の静かな怒りが彼女に向けられる。
その瞬間、麗美は玉犬・渾にでも噛み殺されていたっておかしくなかったのに、伏黒は「その面を二度と見せるな」と言って殺すこともなく、むしろ戦線離脱を促す。それだけでなく、攻撃されても「(俺に殺されても)いいんだな!?」と聞くだけ聞いて手にかけず、むしろマンションの部屋の扉を使って彼女の身を庇う形で爆発から守ったのだ。
「因果応報は全自動ではない。悪人は法のもとで初めて裁かれる。呪術師はそんな報いの歯車の一つだ。少しでも多くの善人が平等を享受できるように、俺は不平等に人を助ける」
本来の伏黒は、少年院でのことも踏まえて虎杖とは違い、助ける人を“選ぶ”。特に姉・津美紀のような善人が割を食うことに心底耐えられないため、罪を犯した人間や犯す可能性がある人間は救うべきではないと考えていた。出会ったばかりの虎杖をどうにかしろ、と五条に頼んだ時にそれを「私情」と言っていた彼だが、それは自分の身を顧みず先輩を救おうとした虎杖の善行を目の当たりにしたからだ。
「お前を助けた理由に、論理的思考を持ち合わせていない。危険だとしてもお前のような善人が死ぬのを見たくなかった。それなりに迷いはしたが、結局はわがままな感情論。でも、それでいいんだ。俺はヒーローじゃない。呪術師なんだ。だからお前を助けたことを、一度だって後悔したことはない」
いずれ救った人間が人を殺したらどうするのか。そんな論点で虎杖と伏黒は少年院で言い争っていた。悲劇的にも虎杖はその後、真人との戦いで“人間”を殺めてしまうし、壊相や血塗を釘崎野薔薇と共に殺してしまう。日車に「意図的に人を殺したことがあるか?」と問われ、「ある」と返した虎杖。「助けた人間が人を殺したらどうするんだ」という価値観に基づきながらも、自分を救った伏黒のことを考えると、押しつぶされそうな気持ちになっていた。それ故に虎杖は「死滅回游」が始まってすぐのころ、伏黒との再会を素直に喜べなかった。しかし、そんな彼に向かって伏黒は「まずは俺を助けろ」と言葉をかける。
もともと、第1話から虎杖と伏黒の人間性の対比が物語の精神として丁寧に描かれてきた『呪術廻戦』。このシーンは第3期の序盤でありながら、これまでの彼らの関係性における転換期であり、大切な瞬間だった。虎杖は彼の言葉でまた少しだけ、呪術師としてではなく人として前を向くようになる。一方で、虎杖と共にした時間の中で伏黒の心にも変化があった。その“変化”を捉えたのが、麗美とのシークエンスなのだ。