『冬のなんかさ、春のなんかね』はなぜ視聴者の支持を得られない? 独自の魅力を深掘り
だが、そうやって関門を突破した視聴者に、第二の関門が立ちはだかる。それは、杉咲花の演じる主人公の文菜が、人によって共感するのが難しい部分のあるキャラクターであるという事実である。第1話で文菜は、成田凌演じる男性・ゆきおと、コインランドリーで出会う。文菜が聴いていたミッシェル・ガン・エレファントの曲が音漏れしていたことをきっかけに知り合った2人は、急接近することとなる。素敵な一場面ではあるが、文菜がすぐさまゆきおの部屋に“興味を理由にして”立ち寄ろうとするのが不穏だ。
そこから2人の交際は始まっていくのだが、文菜は彼と付き合いながらも、複数の男性と2人きりで会ってゆく。思いついたようにホテルに誘っては、肉体関係を結ぶことも珍しくない。毎回違う男性と会っては、ゆきおと過ごす平和なシーンで最後を締めるのが、エピソードごとの“お約束”になっている。この異性に対する奔放さと、彼氏に対しての不誠実さが、視聴者に違和感を与えるのだ。
しかも、文菜の仕草がいちいち“あざとい”のも確かだ。ゆきおの部屋に初めて行ったときも、「キスでもする?」と、会話のなかに突如爆弾発言を差し込んだかと思ったら、初対面であることを気にするゆきおに対し、一度部屋の外に出てから、すぐさま呼び鈴を鳴らして再度入室し、「これで初対面じゃないです」などと言い出す。ゆきおはこれで即陥落したわけだが、第三者の目から見ると、“とんでもねえ魔性の女だ……”と思われても仕方がない振る舞いだ。
それだけでなく、居酒屋などでの男友達への“熱い視線”だったり、机をちょこちょこと触ってみたり、大学時代からの気の置けない友人に「寝たいんでしょ、私と」と直接的に誘ったり、元カレに、付き合っている女性の前で「いまも好きだよ」などと挑発したりするなど、相手に応じて千変万化しながら、彼女は東京の“サブカル文化圏”をフィールドに、蠱惑的に振る舞うのである。
そうした、複数の相手を手玉に取るような彼女の恋愛、もしくは浮気の楽しみ方というのは、女性の多いドラマ視聴者層にとって、憧れるというよりは、“脅威”だったり、“不快な存在”として認識される場合の方が少なくないはずだ。小説家という華々しい職業を持ち、目の前の男を、知性や甘えた態度で籠絡して性的な冒険や恋愛の機微をエンジョイしては、やや物足りなさを感じる誠実な彼氏の側で安心する。この調子の良さを、さまざまな現実のなかで“自分の物語”だったり、“理想の自分”と思えるような視聴者は限られるものと考えられる。
だとすれば、文菜のあざとい仕草を少し俯瞰で見ながら、「この女、また“やって”んな……」と面白がれるかどうかが、このドラマを楽しめるポイントだといえるのかもしれない。その意味で、こうした主人公を十二分に体現している杉咲花の本シリーズの演技は、まさに神がかっているといえるだろう。まさに演出が、彼女のポテンシャルを引き上げている瞬間である。
画期的なのは、そうした“女性像”というのが、ドラマの主人公として非常に珍しい存在だという点だ。宇野千代や瀬戸内寂聴など、彼女のキャラクターは、実在する恋多き女性の文学者という系譜に属することになるのだろう。とはいっても、少なくとも現時点での文菜は彼女たちのような深刻な立場に身を置こうとはしない。第4話でやっと、彼女の内面が揺るがされる描写があるものの、それでも“自分は自分”というスタンスは崩れない。いわゆる“身も世もない”乱れ方はしていないのだ。
今後、ストーリーの展開によっては、そんな乱れた彼女が見られるのかもしれないし、ゆきおとの決定的な対峙を求められることになる可能性もある。しかし、第4話に登場した二胡(栁俊太郎)に代表される男性作家が、これまでの女性経験を糧にすることで小説を充実させていたのだとするならば、文菜ばかりが、そういった傍若無人な男性経験を責められる謂れもないだろう。
男性がそういう振る舞いを作品に昇華させ、醜いものを美しく表現しようとしてきたのであれば、文菜もまた男性とのさまざまな遍歴を“エモく”表現することもあるだろうし、女性の側が男性を“消費”して、自身のイメージを確かめていくような物語があってもいいはずなのだ。
もしそんな文菜が責められるのだとしたら、日本の文壇におけるさまざまな男性の振る舞いもまた断罪されることになるのではないか。日本の作家が、いわゆる“近代的自我”を持ち出して、善と悪の入り混じった「近代文学」を作り上げていったように、本シリーズは文菜を通して“近代的自我”をドラマシリーズの枠内で表現してみせているといえよう。
“分かりやすさ”、“共感”。これらの価値観が求められるドラマ界において、私小説のようなスタイルでの「近代文学」をそのままやっている。これは近年においては脚本家の野木亜紀子による『獣になれない私たち』(日本テレビ系)が表現した精妙な領域であり、そこをさらに徹底させた内容だといえるだろう。だから、その作品としての充実に反して、『獣になれない私たち』が視聴率で苦戦したように、本シリーズが同じような状況に陥るのは必然だったといえる。
では、こういったドラマ作品が“失敗”なのかといえば、決してそんなことはないはずだ。こうした主人公像でなければ伝えられないこと、この時間感覚でなければ表現できない世界観というのは、確実に存在する。本シリーズは、そのことを証明するドラマであり、視聴者にとっては、これまでにない体験を味わえる希少な機会なのである。どんな感想を持つにせよ、それを逃すのはもったいないことだ。
果たして、杉咲花が見事に体現する“共感されざる”主人公は、この後どのような結末にたどり着くのだろうか。人生を揺るがされる運命に翻弄され、地を這うことになるのか。それとも「なんかさ」、「なんかね」と、空気のように最後まで世界を浮遊していくのか。現時点でも意義深いシリーズであり、伝説化していくだろう『冬のなんかさ、春のなんかね』が、どのような展開を迎えていくのかに、注目が集まる。
小説家で古着屋バイトの主人公・文菜は、過去の経験から恋人と真剣に向き合うことを避けていた。そんな文菜が自分の恋愛を見つめ直していく。演出には、映画監督の山下敦弘と山田卓司も参加している。
■放送情報
『冬のなんかさ、春のなんかね』
日本テレビ系にて、毎週水曜22:00~放送
出演:杉咲花、成田凌、岡山天音、水沢林太郎、野内まる、志田彩良、倉悠貴、栁俊太郎、細田佳央太、内堀太郎、林裕太、河井青葉、芹澤興人
脚本:今泉力哉
監督:今泉力哉、山下敦弘、山田卓司
音楽:ゲイリー芦屋
主題歌:Homecomings 「knit」(IRORI Records / PONY CANYON)
プロデューサー:大倉寛子、藤森真実、角田道明、山内遊
チーフプロデューサー:道坂忠久
制作協力:AX-ON、Lat-Lon
©日本テレビ
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