“アイドルの恋愛禁止ルール”は人権侵害か? 『恋愛裁判』が示した論点を徹底検証
深田晃司監督作『恋愛裁判』が公開され、話題を呼んでいる。映画ファンはもとより、“アイドルの恋愛禁止ルール”を題材にしたセンシティブかつセンセーショナルな内容が、多くの観客の興味を惹き、かつ議論の種となっているのだ。
この作品の最も突出している点は、日本の多くのアイドルの恋愛が原則的に禁止されているといった現実の事柄について、さまざまな観点から“考え抜かれている”点だ。筆者も、この機会に現実の問題について要素を洗い出し、ポイントを整理してみたのだが、こちらが考えるほとんどの疑問や論点について、作中で言及されているのである。そこはさすが、とくに映画業界の諸問題に敏感で、いち早く声をあげてきた感度の高い深田晃司監督というところだ。
ここでは、そんな『恋愛裁判』が、いったい何を描いていたのか、そして、映画が示したアイドルの恋愛禁止ルールについての論点を複数の角度から検証していきたい。
※本記事では、映画『恋愛裁判』のストーリー展開についての記述があります
主演を務めたのが、実際にアイドルグループ「日向坂46」に所属していた齊藤京子であることもセンセーショナルな点だ。さらに、共演の仲村悠菜、今村美月、桜ひなのもまた、アイドルグループの現役メンバー、または元メンバーである。そして、業界は異なれど、過去に共演者との関係が大々的にスクープされた経験のある唐田えりかが、彼女たち演じるアイドルのマネージャー役を務めているところも意図的なものがあるだろう。
齊藤京子が演じる山岡真衣は、人気上昇中のアイドルグループ「ハッピー☆ファンファーレ」のセンターを担当しているという役柄だ。彼女はある日、中学時代の同級生・間山(倉悠貴)と再会する。自由に生きる彼に惹かれていく真衣だったが、彼女には事務所と交わした「恋愛禁止ルール」がある。日々大きくなっていく恋愛感情と、多くのファンを持ち、大きなイベントを控えるアイドルとしての義務感……。相反する感情の狭間で真衣は葛藤する。
結局、アイドルグループよりも“彼氏”を選んだ真衣は、間山ともども事務所に民事裁判で訴えられ、800万円もの損害賠償を請求されてしまう。そこから彼女の法廷での闘いが描かれるのだが、本作の「恋愛裁判」というタイトルが放つイメージほどには、裁判そのものがメインの題材となるわけではない。あくまで彼女の現役アイドルとしての生活や、それが終わりを迎えた後の生活を通して、一人の人間の感情の変化を追っていくのが、中心的な内容となる。
とくに、アイドルを辞めた後の真衣の日々は悲痛だ。恋愛禁止ルールは不当であると法廷で主張するものの、残ったメンバーには「私を利用しないで」と言われ、アイドルを辞めてまで選んだ間山とは、価値観の違いで衝突して口論になってしまう。ちなみに、真衣と間山が通りを挟んで土砂降りのなか激しくケンカするシーンは、日本の映画ファンにとっては、小津安二郎監督が名撮影監督・宮川一夫と組んだ『浮草』(1959年)における、京マチ子と中村鴈治郎の名シーンを思い起こさせる箇所である。
また間山は、『天井桟敷の人々』(1945年)のパントマイム師(ジャン=ルイ・バロー)を想起させるようなキャラクターで、魔法としか思えないパフォーマンスをおこなって、“俗世間の重力から自由になる”存在を体現する。後半、彼が賠償金という現実の重力に足を取られると、その芸は凡庸なものになってしまうところが面白い。重力に逆らう芸の真相とは、じつは真衣が彼に託した、“自身の自由への渇望”ゆえのイメージだったことが理解できる演出だ。
そして、ファンが暴走してアイドルに危害を加えようとするシーンでは、『淵に立つ』(2016年)に代表される、深田監督の残酷かつシュールな表現が炸裂し、むしろその“らしさ”に安心する思いすらある。こうした演出の数々は、社会問題を描いた本作の、アートとしての価値を高めている点だ。しかし、なにより劇中のアイドルのステージや出演者たちの演技を、“アイドルファン”の求める価値観の外から捉えているところが、本作のアプローチの最も重要な部分だといえる。
さて、ここから本作のテーマの核心部分へと迫っていきたい。グループとしてかつてない大きなステージを前に、間山のもとへと走った真衣の行動は、果たして正当化され得るのかという点である。
まず、事務所の立場としては、稼働するスタッフ、販促物の破棄、広告の差し替え、事務所の信用失墜や各所への謝罪など、真衣の故意による行動によって、さまざまな損害が発生したことは確かなのだろうし、賠償請求額もおそらく妥当なものだったのだろう。所属時の契約書でも、真衣自身が「恋愛禁止ルール」に同意をして判を押していたという強みもある。
そんな事務所の想定される言い分は、“辞めるにせよ順序を踏むべきだ”というところだろう。少なくとも、ファンの前で発表した大舞台だけは成し遂げるべきであり、その後に順を追って契約の解除を進めていけば良かったのではないかと。もちろん、ビジネス上はその通りだし、彼女が突然職務を放棄して連絡を一方的に絶ったことは、裁判でもかなり不利にはたらく要素となるだろう。
このように契約の面では、たしかに真衣に分が悪いといえる。しかし、彼女が全面的に悪いと判断するのには、何か違和感をおぼえる部分もないだろうか。そして、その違和感の正体とは、“多くは10代から芸能活動を続けてきた、他に社会経験の少ない少女たちをビジネスに利用するような企業が、彼女たちの職業倫理を問えるほど立派な倫理性があるのか”という疑問なのではないか。