『ジェイ・ケリー』は『8 1/2』のような作品に ノア・バームバック自身の境遇と繋げて考察

 『ホワイト・ノイズ』(2022年)監督、『バービー』(2023年)のグレタ・ガーウィグ監督との共同脚本執筆など、映画業界の最前線で活躍を続けている印象のあるノア・バームバック。ジョージ・クルーニーを主演に、キャリア終盤を迎えたハリウッド映画スターの異国での旅を描いた『ジェイ・ケリー』は、そんな彼の次のステップであるかのように感じられる新作である。しかし、その見立ては微妙に違っていた。

 ここでは、監督、表現者としてのノア・バームバックが提供する本作『ジェイ・ケリー』が、ある架空の俳優の“魂の彷徨”を通じて、実際は何を描こうとした作品だったのかを、この異様なストーリーと、バームバックの境遇とを繋げながら考えていきたい。

 ジョージ・クルーニーが演じる俳優のジェイ・ケリーは、ヨーロッパへ旅立って大学に入学しようとする娘のデイジー(グレース・エドワーズ)とゆっくり過ごそうとする。しかし彼女は、友人とヨーロッパ旅行をしたいのだという。心配な娘の足取りを追いかけようとするジェイは、新作への出演を断り、現地で娘の乗っている列車を突き止めて乗り込むという、少々偏執的にも感じられる行動をとる。長年の協力者である、マネージャーのロン(アダム・サンドラー)や、広報担当のリズ(ローラ・ダーン)も帯同している。

 ジェイは同時に、辞退しようとしていたイタリアでの俳優の功労賞とヨーロッパ行きを結びつける。ジェイは娘を見送った後に、その足でトスカーナでの授賞式へと出発すると、彼は幻想的な世界へと導かれていく。イタリアで英米のスター俳優が何らかの賞を受賞し、奇妙な体験をする描写といえば、『世にも怪奇な物語』(1968年)のフェデリコ・フェリーニ監督作『悪魔の首飾り』や、ソフィア・コッポラ監督の『SOMEWHERE』(2010年)が思い浮かぶ。本作もまた、トスカーナの丘陵地帯に佇む小さな町「ピエンツァ」でロケが敢行され、糸杉が並ぶ風光明媚な光景と、歴史と古い文化が息づく世界のなかで、“自分”に向き合うこととなる。

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 バームバックの近作については、以上のリアルサウンド映画部の記事に書いている。『ホワイト・ノイズ』評に記しているように、そこで描かれた、消費とコマーシャリズムに市民が操作されていくというテーマは、原作小説が書かれた当時と同じく、深刻かつ重要なものだった。だが、政治的に二分した現在のアメリカにおいては、その内容はやや高度過ぎるものに映ったというのが、率直な印象だ。バームバックが厳しい目線を浴びせようとした現実の“大衆”は、それよりもさらに文化的後退のさなかにあるというのが実情だったのではないか。

 エンターテインメントの作法から外れた難解な語り口も影響し、大作ながら大きな話題を呼ぶものにはならなかった、『ホワイト・ノイズ』。とはいえ、そこでの商業批判、コマーシャリズムへの懐疑の姿勢が、大ヒット作『バービー』でよりポップで分かりやすいかたちに昇華したという部分もある。

 だがバームバック自身は、精魂を込めた『ホワイト・ノイズ』が商業的な成功を得られなかったことに意気消沈し、映画への情熱を失いそうな危機にあったのだという。そんな彼は、セットで知り合い友人となったエミリー・モーティマーと、ともに新作の脚本を執筆したと語っている。それが、自身の境遇を俳優の物語に変換した本作『ジェイ・ケリー』だったというわけだ。エミリー・モーティマーは本作の共同脚本家となり、出演も果たしている。(※)

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