カンザキイオリ「正しい命の浸かり方」
カンザキイオリ『自由に捕らわれる。』はなぜ生まれた? 性の扱い方を教えてくれた『SATC』
カンザキイオリ「正しい命の浸かり方」第2回——『セックス・アンド・ザ・シティ2』
【新連載】カンザキイオリ「正しい命の浸かり方」 小説デビュー作の参考となった『告白』
「命に嫌われている。」等で知られるカンザキイオリ。マルチな活動の原点には映像作品があり、映画『告白』が創作に与えた影響を紐解く。こんにちは。カンザキイオリです。
僕はボカロPです。ボーカロイドに歌わせて曲を作る人です。それがいつしか自分で歌うようになり、気づけば小説も書くようになりました。肩書きを「アーティスト」なんぞ使うときもありますが、僕はそれほどアーティスティックなことはありませんし、大体は普通の人と、私生活も、食生活も変わりません。今日の朝ごはんは自家製キムチでした。
2024年夏頃発表いたしました『自由に捕らわれる。』は、僕にとって3作目の小説です。同名のボカロ楽曲の歌詞に着想を得て制作した小説であり、大変ありがたいことにこの小説は映像化され、僕自身のライブパフォーマンスとあわせて、一つの映像作品として映画館で公開されました。小説って基本、机の上の出来事なのに、映像になると身体の出来事になります。肉になり、より濃く、「事実」になる。つまりは、僕の性的な思想や思考や願望が、肉になって、形になって、映像化して。そこが少し怖くて、でも嬉しかったです。
突然、「性的な思考」なんて言ってしまってすみません。実はこの作品は、僕の性癖、ちょっとまってなんかもっと綺麗な言い方したい。趣味? 趣向? あーもういいや。性癖をもとに書いた作品です。物語の軸は、男子高校生と、30代男性の登場人物の、そうですね、世間一般でいうボーイズラブ的な構造になっています。否定的な気持ちはなく、まさに僕はこの小説を、自分がみたいBL作品を書きたいという強い意志で書きました。地産地消です。自分の欲望は、自分で作って自分で食べます。キムチのように。
僕は2024年、同性愛者であることをカミングアウトしました。もともと、特に隠しているわけではなかったし、というかその要素が漏れ出てたとも思いますし、そもそも僕はアイドル的な売り方をしてアーティストをしているわけではありませんから、大ショック! とか、意外性はそこまでなかったのかな、なかったら嬉しいです。それだけ僕という存在が皆さんの思考の邪魔をしないというのは安心です。
いつの間にか同性愛者であることを、なんとなく隠すようになっていました。隠し事があるというのは、それだけで罪悪感が湧いてしまいます。そしてもちろん「カンザキさんって同性愛者なんですか?」と影で言われることもあったので、そういうことに対してはむしろ、グッと昂ってしまいます。同性愛者に決まってんだろうがよ! と、叫びたかったものですが、なぜ叫べないのだろうか。
それは、それほど「性」と言うものが、タブーでもあり、重要でもあり、尊くもあり、そして偉大でもあり、悪でもあるからです。だけど僕は、ずっとそういう、性的な感覚が交えた作品を、どこかで作ってみたかった。どこかで書いてみたかった。
その影響を受けた映画を紹介します。どうかタブーだと思わないで。なんてことない。あなたもいつか体験するかもしれない。セックスの話です。