『ばけばけ』松野家の不思議な安心感はなぜ? 『おむすび』米田家、『虎に翼』猪爪家と比較

 明治という時代は、制度が変わっただけではない。暮らし方も、働き方も、正しさの基準も、昨日までの常識が音を立てて崩れていくような時代だ。NHK連続テレビ小説『ばけばけ』は、怪談を愛する松野トキ(髙石あかり)が、異邦人の夫とともに“何気ない日々”を歩いていく物語を真正面から描いている。

 その中心にあるのが、トキが育った松野家だ。没落士族の家で、生活は決して安泰ではない。それなのに、松野家の場面には不思議な息ができる感じがある。トキが“トキのまま”でいられる。視聴者にとっても、思わず戻りたくなる場所だ。松野家は、時代の変化に飲み込まれそうなトキが、自分を見失わずにいられる帰る場所になっている。

 松野家の魅力は、何より家族のあり方そのものにある。養父・司之介(岡部たかし)は新時代の事業に挑んでは空回りし、養母・フミ(池脇千鶴)は怪談や神話を暮らしの言葉として語り、祖父・勘右衛門(小日向文世)は古い様式を手放さずに生きている。誰もが時代の波にうまく乗れているわけではない。それでも、松野家には失敗してはいけないという空気がない。失敗を責めるより先に、みんなで受け止めて、笑いに変えてしまうからだ。だから家の空気が重くならない。

 この雰囲気がトキにとって決定的だったのだろう。頑張り続けなくてもいい。理屈で自分を説明しなくてもいい。怪談が好きなら、好きと言っていい。松野家の団欒は、立派な話し合いで成り立っているのではなく、取り留めのない会話や可笑しみが積み重なってできている。脚本のふじきみつ彦が日常を重視し、会話の面白さで物語を動かしていく本作のつくりとも、その居心地の良さはきれいにつながっている。

 対して、『おむすび』の米田家は、震災という大きな喪失を抱えながらも、互いを支え合い、前を向いて生きていく家族だった。家の中心にあるのは困っている人を放っておけないという倫理で、その優しさが米田家の強さになっている。誰かの痛みや小さなSOSに先に気づき、迷う前に体が動いてしまう。そうした振る舞いが、家族の誇りであり、日常のルールとしても根づいている。

 けれど、その強さは裏返ることもある。助けることが当たり前になるほど、「弱音を吐いちゃいけない」という空気が生まれてしまう。家族にとっての正しさが明確だからこそ、立ち止まることや自分を優先することに、どこか後ろめたさがつきまとう。頑張れてしまう人ほど、限界が来るまで頑張ってしまう。結が自嘲気味に口にした“米田家の呪い”という言葉は、善意がそのまま重たさになってしまう瞬間を言い当てていた。

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