福地桃子×寛一郎の静謐な演技が光る 『そこにきみはいて』が肯定する“わかりあえなさ”
企画段階から携わっている福地と中川の役の体現度は、やはりというべきか、目を見張るものがある。それぞれの俳優とキャラクターとが、非常に高い次元で手を取り合っているのだ。観客に対して端的に感情を訴えるようなシーンはひとつとしてないものの、セリフとセリフの“間”や身体から放たれる“空気”が、香里や慎吾の複雑な内面の変化をそっと静かに提示する。暗闇の中でスクリーンを見つめる環境だからこそ、私たちはその心の動きに気づくことができるのだろう。人間の心というのはそれくらい繊細なもので、私たちはいつもそれぐらい慎重になるべきなのかもしれない。
“物語の中心にあるのは健流の存在”だと先述したが、これが寛一郎の好演によって実現している。私たちは映画の前半部分で、彼が感じている他者との断絶や内に秘めた途方もない孤独感に何度も触れる。彼は香里と一緒にいながら、ときにその心は宙空を彷徨っている。またあるときには、ふと表情を歪ませる。そこに私たちは絶望の色が広がっているのをみとめるはず。大切な人といても、孤独感は消えない。そうした彼の心に触れる瞬間の積み重ねにより、やがて観客にとっても健流は特別な存在になっていく。作品の構造的に彼を特別視させるものになってはいるが、やはり何よりも寛一郎の演技こそがこれを実現させているのだ。もちろんこれが、福地や中川とのやり取りの中で達成できているものであるのは言うまでもない。演技はひとりではできないものなのだから。
竹馬監督は、自身が主演も務めた『今、僕は』(2009年)にはじまり、『蜃気楼の舟』(2016年)、『ふたつのシルエット』(2020年)、『の方へ、流れる』(2022年)と、それぞれの作品ごとに異なるスタイルを採用して映画を撮り続けてきた。そんな彼のフィルモグラフィにおいて“最新作”に位置付けられる『そこにきみはいて』は、これまでのどの作品よりも多くの観客に開かれたつくりになっている。それは他者や世界とつながることをあきらめない香里に対して真っ直ぐに向き合った結果なのだろうし、この作品が描出する他者と理解し合うことの困難は、私たちの誰もが抱えているものだからだとも思う。
この社会は、大切な人の死や過去のトラウマを、いち早く克服することや、乗り越えることをいつも求めてくる。しかし私は、それらをすべて抱えたまま生きていけばいいのではないかと考えている。これは残された者たちが大切な人の自死の理由を解き明かそうとするものではない。他者と深く理解し合うことが難しいこの世界で、それでもつながりを得ようとする者たちの物語だ。私たちは他者から抱きしめられることで、いまここに存在する自分の輪郭を知ることができる。この映画は、ときに孤独感に苛まれるあなたの心を抱きしめてくれるだろう。あなたはそこで、自分の心の輪郭を知るはずである。
■公開情報
『そこにきみはいて』
全国公開中
出演:福地桃子、寛一郎、中川龍太郎、兒玉遥、遊屋慎太郎、緒形敦、長友郁真、川島鈴遥、諫早幸作、田中奈月、拾木健太、久藤今日子、朝倉あき、筒井真理子
脚本・監督:竹馬靖具
エグゼクティブ・プロデューサー:本間憲、河野正人
企画・プロデュース:菊地陽介
ラインプロデューサー:本田七海
原案:中川龍太郎
音楽:冥丁
制作プロダクション:レプロエンタテインメント
配給:日活
©「そこにきみはいて」製作委員会
公式サイト:https://sokokimi.lespros.co.jp
公式X(旧Twitter):@sokokimi_movie