山火事の脅威を誰も見たことのないレベルで表現 『ロスト・バス』は“人間ドラマ”の傑作だ
『アンストッパブル』の運転士不在の暴走列車や、本作のような大規模な山火事、そして震災や津波などが引き起こす脅威について、人間の知識や努力は、対抗する力としてあまりにも小さいといえる。筆者もまた、東日本大震災時に東北地方で被災を実際に経験している。津波被害の激しかった地域に足を踏み入れた際は、見渡す限り瓦礫に埋め尽くされた光景を目の当たりにし、自身の存在の小ささ、無力さを思い知らされた。しかし、死が身近にあったからこそ、同じ立場の人々が互いに生き延びるため、また一人でも多く命を救おうとする、助け合いや協力体制を心強く、また尊いものに感じられたことを思い出す。まさにそれが、本作や『アンストッパブル』で描かれた精神であると考える。
劇中では、住民の救出が困難となり激しい火に取り巻かれたレスキュー隊員が、避難民たちと川に入って潜るという、最後の手段に出る場面もある。だが、多くの一般市民は、このような窮地に対応する訓練を受けてきたわけではなく、ましてや正義のヒーローとしての心構えができているわけではない。
アメリカ・フェレーラ演じる教師は、適切に子どもの心理をケアし、最大限に安全を確保しようとするが、あまりの山火事の激しさに、しばしば弱音を吐いたり、窮地において諦めの言葉を口にしたりする。しかし、そんな彼女が、へこたれそうになりながらも自分を鼓舞し、子どもたちを勇気づけようとする姿が、本作の緊迫感や情感を、高い位置に押し上げている。それは、マコノヒー演じるケヴィンも同様だ。
ケヴィンは妻と別れ、家の事情で故郷の町「パラダイス」に戻ってきている。父親に連れられてきた息子は、田舎に移住することになった境遇に苛立ちをおぼえ、反抗的だ。おまけに地元での仕事は薄給で、生活に余裕が全くない。ケヴィンが思う幸福は崩れ、彼はどうすれば事態が好転するのか、迷いのなかにある。
山火事によってスクールバスの通信が途絶え、居場所が分からなくなる「ロスト・バス(行方不明のバス)」という状況、そして山の中で立ち往生し進退窮まる展開は、ケヴィンそのままの姿だといえる。果たしてケヴィンは、子どもたちを救い、自分の道を取り戻すことができるのだろうか。
ちなみに、「パラダイス」という町は実在し、当時のキャンプファイア山火事において、そのほとんどが焼失してしまった場所だ。メディアは旧約聖書の「失楽園」と重ね合わせ、この火災による被害を、「パラダイス・ロスト(失楽園)」などと表現もしている。
リジー・ジョンソンの著書をベースにした本作は、このような被害を生んだ原因として、実際の調査や裁判の判決に基づき、地域のガス・電力会社PG&Eの過失であったことを描くことも忘れない。劇中で消防の指揮隊長は、「年々山火事は、回数も規模も増しています。人の愚かさを痛感します」と述べる。もちろん、全ての火災に人災の要素があるとはいえないが、原因や被害拡大に人間がかかわっている場合があることは確かなのだ。その全てを、町の人々や救出活動にあたった人々の善意という感動で塗り潰してはならないと、本作は釘を刺している。
2025年には、ロサンゼルスの都市圏を巻き込んだ大火災も発生し、映画産業へのダメージも大きかった。避難の際に息を引き取った映画人もいる。それぞれの災害を安易にまとめることはできないが、火災が年々被害が拡大していると伝える本作の警鐘は、新たな現実の大災害の予告にもなっていたのは確かなことだ。実際、火災当時は本作の編集作業中に火の手が回ってきていたというのだ。
2018年のキャンプファイア山火事や、2025年の山火事、そして頻発する無数の火災……。人々の暮らしが一瞬にして破壊され、命までも奪う災害の脅威を、容赦なく表現する本作『ロスト・バス』は、人の愚かさと尊さを、同時に描く人間ドラマの傑作である。そこで描かれる希望は、キャンプファイアの死者たちを追悼し、生存した人々にエールを送っている。そして結果的に、傷ついた映画産業の回復をも願う“祈り”としても機能することになったといえよう。
■配信情報
『ロスト・バス』
Apple TV+にて独占配信中
出演:マシュー・マコノヒー、アメリカ・フェレーラ
監督:ポール・グリーングラス
画像提供:Apple