ロバート・レッドフォードは“アメリカの良心”だった 映画人の鑑として残した偉大な功績

 そんな「アメリカ的な人生の肖像」は、監督業にも進出した彼の終生のテーマともなったが、映画作家としての視線にはひと味違う鋭さがあった。『普通の人々』(1980年)『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992年)『クイズ・ショウ』(1994年)『モンタナの風に抱かれて』(1998年)……そこに描かれた家族像は、決して甘くノスタルジックなだけではない。アメリカという国がはらむ病理と、常に背中合わせの悲劇を伴いながら、美しく温かくもある。その複雑さを慈しむ人間観こそ、レッドフォードらしさだろう。

 俳優業だけでなく、映画人としてさまざまな分野に挑んだレッドフォードは、1981年に若手映画人の育成・制作支援を目的として非営利団体サンダンス・インスティテュートを設立(名前の由来はもちろん『明日に向って撃て!』の当たり役から)。また、新進気鋭のインディーズ映画作家を発掘する場として、サンダンス映画祭も立ち上げた。その功績の大きさは計り知れない。クエンティン・タランティーノ、スティーヴン・ソダーバーグ、トッド・ヘインズ、ポール・トーマス・アンダーソン、デイミアン・チャゼル、リー・アイザック・チョンなど、この映画祭で名を上げ、ワークショップや実習などで腕を上げた監督たちは枚挙にいとまがない。

ロバート・レッドフォード写真:REX/アフロ

 やがてサンダンス映画祭はハリウッドの大手スタジオからも注目され、有名になるにつれて権威化し、身も蓋もない商戦の場と化す傾向もあった。それでも独立系映画を徹底的に支援する姿勢はいまだに貫かれている。今後もレッドフォードの意志が守られることを願いたい。

 自ら唯一無二のスターとしてハリウッドの最前線に立ちつつ、新たな才能の発見・育成にも尽力したレッドフォードは、まさに「映画人の鑑」だった。そして、映画を通して自国民の社会参加意識を刺激し、啓蒙し続けた。『リバー・ランズ・スルー・イット』の主演に抜擢され、のちに『スパイ・ゲーム』(2001年)で共演したブラッド・ピットをはじめ、同じく監督・俳優を兼業するジョージ・クルーニー、『大いなる陰謀』で演出を受けたトム・クルーズなど、映画人レッドフォードの影響下にある後輩たちは少なくない。

 第二次トランプ政権のもとで、自国が混乱を極めるなかで世を去ることは、彼にとって大いに無念だったことだろう。しかし、ここまで来れば誰もが戦わざるをえないはずだ、という大衆への信頼もあったことは想像に難くない。観客を信じ、真摯にメッセージを呼びかけ続けたレッドフォードは、紛れもなく「アメリカ映画の良心」だった。

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