『ちはやふるーめぐりー』は“名もない人”たちを肯定する物語 “敗者”の軌跡を描く名作に

“何者かになること”を強いられる現代に示すカウンター

「あの子を前にすると、嫌でも思い知らされるんです、自分が負け組だってこと」

 青春漫画の金字塔『ちはやふる』新章のバトンを託されためぐる(當真あみ)は、『ちはやふる』らしからぬ、自己評価が著しく低い主人公だ。太陽のように明るくて、誰からも好かれ、世界を変える力を持つ――そう、綾瀬千早(広瀬すず)のような物語の主人公に、筆者もずっと憧れていた。だが、立つこともやっとな時代に、彼女のようなエネルギッシュな主人公は、いささか眩しぎるのかもしれない。自分には手の届かない存在だと感じる人もいるのだろう。

 「歌がなければ、百人一首もなかった。百人一首がなければ、かるたもなかった。かるたがなければ、私たちが巡り会うこともなかった。……私もなりたいのです。この壮大な物語をつないでいく、名もない一人に」

 教え子のめぐるに「なぜ古典の研究をしたいのか」と問われた奏(上白石萌音)の答えは、“何者かになること”を常に求められる現代の潮流に抗うような暖かみのある言葉で、自分を“負け組”だと思うめぐるの後ろめたさを掬いあげる。最終回を迎えた『ちはやふるーめぐりー』(日本テレビ系)は、今を生きる多くの“名もない人”たちに向けられていた。

現代社会を反映しためぐるのキャラ造形

 末次由紀の『ちはやふる』は、競技かるたに情熱をかけた高校生たちを描く青春漫画の金字塔的作品だ。映画三部作で監督・脚本を務めた小泉徳宏がショーランナーを担うドラマ『ちはやふるーめぐりー』は、千早たちが卒業した後の瑞沢高校を舞台にした『ちはやふる plus きみがため』とはまた別で、映画版から10年後の世界を描く“アナザー・ちはやふる”とも位置づけられる作品だ。

 人気漫画の実写化には、いまだ否定的な声も多い。ましてや、一度完結した大ヒット作品の続編をオリジナルで描くとなれば、なおさら風当たりは強くなる。しかし、原作者の末次がプロット段階から関わっていたこともあり、作品へのリスペクトと圧倒的な愛にあふれた『ちはやふるーめぐりー』は、“アナザー・ちはやふる”としての使命を全うした。実写化作品のオリジナル続編を、複数体制で脚本を共同執筆する「ライターズルーム」方式で成功させた功績は、業界的にも大きい。

 令和の時代に生まれた『ちはやふるーめぐりー』は、まさに“今”を象徴する物語になっていた。特に印象的なのは、千早とは真逆のキャラクターを、あえて新章の主人公に据えた点である。

 本作の主人公・めぐるは、高校生ながら、“デスゲーム化”した現代社会を生き抜くために、積立投資に勤しんでいた。まさにムダや手間を嫌うコスパ・タイパ時代らしい若者で、奏も「令和のJK、強い……もうダメ……」とお手上げ状態だったが、めぐるの価値観には悲しいかな、時代への“諦め”が反映されている。ムダをする余裕もない。国も守ってくれない。だからこそ、なにか担保がないと行動に移せない。そんな時代へのやるせなさが、今のめぐるを象っている。奏を「青春セレブ」と呼んでいたのも、ただ好きなことに打ち込めた奏たちの学生時代が、めぐるにとっては“恵まれた者の特権”のように映ったからだ。

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