『ベートーヴェン捏造』は情報社会に刺さる傑作 衝撃の“史実”とバカリズムらしさを融合
世紀の大スキャンダルを身近な人間ドラマとして再構築
1827年3月26日、ベートーヴェン死去。ここからシンドラーの本格的な暴走が始まる。「ベートーヴェンは崇高な天才でなければならない」──そんな一方的な思い込みから捏造をはじめ、自分こそが最愛の弟子だったという壮大なフィクションを構築していく。人は「つい盛ってしまう」生き物だ。どうでもいいことにこだわり、執着を見せる。しかしシンドラーの場合、それは度を越していた。
映画の中で興味深いのは、実際の「小さくて小汚い中年男」である“古田ベートーヴェン”よりも、シンドラーの理想と妄想が作り上げていった立派で優しく穏やかでシュッとしているベートーヴェンのほうがむしろ、嘘くさくて薄っぺらく滑稽に観えてくることだ。真実の人間味溢れるベートーヴェンのほうが、よほど魅力的なのだ。
バカリズムは本作を通じて、真実と嘘の境界の曖昧さを描く。シンドラーの捏造は明らかに問題だが、「真実のベートーヴェン」を知ることにどれほどの意味があるのか。事実は脈絡なく、無数の唐突な断片だ。しかし人々が求めているのは、整合性のあるストーリーなのかもしれない。面白いエピソードは創作されていることも多い。世間が求めるものは「ストーリー」であることを、シンドラーもバカリズムも理解しているのではないだろうか。
ベートーヴェンに関わったほかの人々が出した記録は概ね一致している。だが、シンドラーの記録だけが他とは異なっている。そこへアメリカ人研究者セイヤー(染谷将太)が現れる。シンドラーによるベートーヴェンの伝記を熱心に読んでいたという彼だが、その目的は何なのか。映画は光と影の対比を効果的に使う。暗闇にいるシンドラーをセイヤーが訪ねるシーンでは、扉が開かれ、眩しい光が差し込む瞬間、手を差し伸べてくれる天使のようでもあり、死の執行人のようにも見える。
バカリズムは19世紀ウィーンの重厚な歴史であり世紀の大スキャンダルを身近な人間ドラマとして再構築した。歴史上の偉人を遠い世界の虚像として見上げるのではなく、同じ人間として恥ずかしい部分や痛い部分を持つ存在として扱う。これこそがバカリズムの真骨頂だろう。
“理想像への固執”が現代に投げかけるメッセージ
キャスト陣も個性派揃いだ。山田は「ピュアなのに異常」(※2)とバカリズムが絶賛する通り、純粋な愛情と狂気を同居させた演技を披露。古田は下品な言動と天才性を同時に体現。染谷のセイヤーは、複雑な立場の変化を繊細に演じる。
さらに神尾、前田旺志郎(カール)に加えて、小澤征悦(ヨハン)、生瀬勝久(ブロイニング)、小手伸也(シュパンツィヒ)、野間口徹(ウムラウフ)、遠藤憲一(ヴェーゲラー)といった実力派が脇を固める。音楽史上の偉人たちも、新原泰佑(シューベルト)、前原瑞樹(チェルニー)、堀井新太(ワーグナー)、Mrs. GREEN APPLEの藤澤涼架(ショパン)らが演じる。
メインテーマとして、清塚信也が演奏するベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番 「熱情」第3楽章が効果的に使われる。激情的でドラマチックな旋律が、シンドラーの暴走する感情と見事にシンクロする。音楽の崇高さと、それを生み出した人間の俗っぽさのコントラストが、映画全体のテーマを音でも表現している。
バカリズムは「恋愛自体は嫌い」と公言し、恋愛描写をあまり取り入れないスタイルを明かしている。しかし恋愛以上に濃密で歪んだ関係性を描くのが巧い。『住住』(日本テレビ系)での男同士の依存関係、「友達以上恋人未満」のような微妙な距離感。本作のシンドラーの感情も、愛なのか執着なのか支配欲なのか判然としない。その境界の曖昧さこそが人間らしい。
映画は問いかける。シンドラーを笑えるだろうか?
誰しも、好きな人物の都合の悪い部分を見なかったことにして、理想像を守ろうとしたことがあるのではないか。「私が一番理解している」と思い込んだことは? 偶像崇拝、情報操作、そして「推し活」の闇──約200年前のウィーンで起きた出来事が、驚くほど現代的なテーマとして立ち上がってくる。
『ベートーヴェン捏造』は、人間の自意識過剰と歪んだ愛を、優しい眼差しで描いた作品だ。シンドラーの行動は問題だらけだが、その根底にある「認められたい」「特別な存在でありたい」という願望は、誰もが持つ普遍的な感情だ。
ノンフィクションをここまで普遍的なエンターテインメントに昇華させるバカリズムの手腕は見事という他ない。バカリズム脚本×歴史偉人伝という組み合わせは、新たな可能性を秘めている。歴史上の偉人たちの周りにも、シンドラーのような愛すべき変人がいたはずだ。そんな人間臭いエピソードを、バカリズムの温かい視点で描く作品がもっと観たい。彼の脚本なら出演したい俳優も多いだろうし、日本映画界に新しい鉱脈が生まれるかもしれない。
劇場を出た後、観客は自分の中のシンドラーと向き合うことになるだろう。私たちは皆、多かれ少なかれシンドラー的な部分を持っている。だからこそ、この映画は愛おしくて、恥ずかしくて、そして限りなく人間的なのだ。
参照
※1. https://realsound.jp/movie/2025/04/post-1999795.html
※2. https://eiga.com/news/20250806/13/
■公開情報
『ベートーヴェン捏造』
9月12日(金)全国公開
出演:山田裕貴、古田新太、染谷将太、神尾楓珠、前田旺志郎、小澤征悦、生瀬勝久、小手伸也、野間口徹、遠藤憲一
原作:かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(河出文庫刊)
脚本:バカリズム
監督:関和亮
企画・配給:松竹
制作プロダクション:松竹
制作協力:ソケット
製作:Amazon MGMスタジオ、松竹
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