『全裸監督』とは一線を画す 韓国のNetflixオリジナルドラマシリーズ『エマ』の意義深さ
Netflixオリジナルドラマにおいても、見応えある内容を提供し続けている韓国作品。そのなかでもひときわ心を揺さぶる、意義深いシリーズがリリースされた。それが、リミテッドシリーズ(1シーズン完結ドラマ)の『エマ』である。
物語の中心となるのは、1980年代の韓国映画の製作現場。韓国で実際に公開され、当時の韓国としては過激といえる性描写が話題を呼んだ官能映画『Madame Aema(愛麻夫人)』(1982年)を作り上げようとする人々を題材に、コメディ風の作品に仕上がっている。ちなみに「愛麻(エマ)夫人」とは、大ヒットした『エマニエル夫人』(1974年)から着想を得たタイトルだ。本シリーズは、そういった題材でユーモアを含んだ作風ながらも、民主化前の軍事政権時代の圧力や、「#MeToo(ミートゥー)」運動を想起させる要素など、次第に深刻なテーマに迫っていく。
題材を「官能映画」に定めたNetflixのオリジナルドラマシリーズということで、日本のAV(アダルトビデオ)業界を描いた作品『全裸監督』を思い出す視聴者も多いだろう。しかし本シリーズ『エマ』は、同時代を描きながらも、この時代の苛烈な女性への抑圧や、そんな状況と戦うシスターフッド作品の方向へと歩み出すという意味で、『全裸監督』とは一線を画す内容となっている。
舞台となるのは、1980年代のソウルだ。セクシーなイメージの役柄で韓国のトップ女優にのぼりつめ、国際映画祭で賞を受賞するまでになったチョン・ヒランは、「もう肌を露出しない」と、自身のイメージを脱却し、演技力やスターの華やかさで新時代の象徴になろうとしていた。しかし、彼女が契約する映画会社が提案してきた役は、「官能映画」として企画された「愛馬(エマ)夫人」(後に「愛麻夫人」改題される)だった。ヒランは、パーティーの衆目のなかでプロデューサーのジュンホをプールに突き落として怒りを表す。
大女優ヒランを演じるのは、『エクストリーム・ジョブ』(2019年)やドラマ作品で、コメディ俳優としての才能を発揮して人気を集めているイ・ハニ。プライドが高く気の強い性格が周囲を圧倒する、カリスマ性が必要となるヒランの役柄を、イ・ハニは水を得た魚のごとく、過剰なほど見事に体現している。そしてヒランを契約で縛りながらも、しばしば逆襲に遭うジュンホ役を、『エクストリーム・ジョブ』などの作品で共演してきたチン・ソンギュが演じる。
ストーリー上では、「愛馬夫人」の主役を降板し、脇役にまわることになったヒランの代わりに、新人俳優を発掘しなければならない展開となる。そこで、気弱な性格ながら初の演出に意気込む若手監督のイヌ(チョ・ヒョンチョル)が出会ったのは、演技未経験ながら、こちらもまた芯の強い女性シン・ジュエ(パン・ヒョリン)だった。彼女は監督の猛プッシュにより主演に抜擢され、肌を見せなければならない役柄を引き受ける。そして、大女優ヒランとのライバル心むき出しの駆け引きを展開することになるのだ。
興味深いのは、当時の韓国の状況だ。韓国は1987年に民主化宣言を発し、ソウルオリンピックが1988年に開催されることになるが、本シリーズが描くのは、全斗煥(チョン・ドゥファン)による軍事独裁政権が樹立し、反対する国民を虐殺するなど、暴力を用いて韓国を掌握していた暗い時代である。全斗煥は国民から政治への関心を奪うため、「3S政策」なる愚民政治を推し進めていた。本シリーズでも言及されるように、「SCREEN(映画)」、「SPORTS(スポーツ)」、「SEX(性欲)」を利用しようとしていたのである。
しかし、実際に性的な描写を映画で表現しようとしても、当局による厳しい検閲が待っている。脚本段階から政府が内容をチェックし、細かく改善要求をしてくるのである。政権のやろうとしていることが、そもそも矛盾しているのだ。本シリーズでは、女性の胸の露出やベッドシーンなど、数々の点が当局によって却下される。「愛馬夫人」というタイトルさえ、なぜか“卑猥”だとされて認められないのだ。そんな矛盾にイヌ監督は混乱し、追いつめられていく。
検閲をかいくぐるため、「愛麻(エマ)夫人」と名を変えた企画は、性描写についても抑制された範囲のなかで、最大限にエロティシズムを追求しようとする。実際の映画『愛麻夫人』を確認したが、主役のヌードや性的な行為を想像させるようなシーンに、彼女が馬に乗って走るイメージ映像を合成するなど、確かに検閲のなかでなんとか工夫をしていることが理解できる。まさに「ヘイズ・コード(米国映画製作倫理規定)」時代のハリウッド映画のようだ。鍼治療や二人の女性の乗馬シーンなど、印象的な場面が本シリーズで再構築される。