やなせたかしの言葉は令和の時代にも響く 『あんぱん』を通して描かれる“愛”の救い

 朝ドラことNHK連続テレビ小説『あんぱん』の第22週「愛するカタチ」(演出:柳川強、日高瑠里)では、ついに嵩(北村匠海)とのぶ(今田美桜)がおんぼろ長屋から広いマンションに引っ越した。ときに昭和42年(1967年)。

 嵩のモデル・やなせたかしが三越百貨店勤務と副業と妻・暢の仕事で稼いだお金を節約して貯めて建てた新宿・荒木町の一軒家を、ドラマでも再現してほしかった。だがセットの都合なのか、なぜかドラマでは東京に出てきて雨露をしのいだ貧しい長屋で昭和40年代になるまで暮らし続けていた。

 第109話で、嵩のファンとして文通をはじめた小学4年生の佳保(永瀬ゆずな)は、嵩ほどの人気作家は豪華な家に住むものと思っていたが、遊びに来たらおんぼろの家で素直に驚きを口にする。

 かなり売れっ子にもかかわらず慎ましい生活をしている芸能人といえば、阿佐ヶ谷姉妹や昔のオードリー春日。「ビジネス貧乏で貧乏暮らしのイメージを体現して共感を得ているのでは?」「もうひとつ別に住居を持っているのでは?」と疑いも感じるが確かめる術はない。一昔前は、物語の登場人物が大成してお金持ちになることもエンタメの一部であったように思う。昭和のテレビ番組は芸能人の豪邸拝見が人気コンテンツになっていた。ところが、『あんぱん』は、嵩はいつまでたっても自己評価が低く、売れてお金持ちになるということを優先事項にまったくしていない。

 ひたすら自己の内面を見つめ掘り進め、物理的な成功ではなく、人間の高みを目指している。だからか、トイレの屋根がないような長屋に住み続け、佳保を呆れさせるのだ。

 その佳保にさんざん「おんぼろ」と言われた嵩はさすがに引っ越しを決意し、仕事場やのぶの趣味の茶室、高知からやっと呼び寄せた羽多子(江口のりこ)の部屋もある広いマンションに住むことになった。気のせいか、嵩ものぶも身なりがよくなったように感じるけれど、ふたりは暮しぶりが良くなることをことさら喜ぶ気配はない。

 これは令和の時代のドラマだからかなあという気がした。このドラマの時代、昭和40年代はイケイケの時代。昭和40年(1965年)から5年間ほど好景気で、その勢いで1970年の大阪万博に突入する。でも、そんな昔は良かったという感じをいま再現されても面白くないだろう。

 令和のいまは、失われた40年が続き、日本が貧しくなり、暮らしがいっこうに良くならないから豊かな時代を書いても虚しい。そんなことを思ったのは次期朝ドラ『ばけばけ』の主題歌、ハンバート ハンバートの「笑ったり転んだり」の影響だ。この曲が『うたコン』(NHK総合)で初披露されたので聞いてみたら、第一声が〈毎日難儀なことばかり〉で、そこからネガティブワードが続く、続く。これまでスタンダードだった明るい希望に満ち、明日もある種能天気に頑張ろうというポジティブなものは影も形もなかったのだ。

 だが、思えば、『あんぱん』の「賜物」も、〈超絶G難度人生〉や〈いつか来る命の終わりへと〉などとわりとネガティブで、『虎に翼』(2024年度前期)は〈空にツバを吐く〉という荒ぶった歌詞が心を引っ掻いた。

 これらの主題歌の歌詞は日々しんどい生活を送っている視聴者たちの素直な気持ちの代弁であろうか。それでいえば、第22週では嵩の漫画は売れないが詩が人気で、八木(妻夫木聡)が「おまえの詩は子どもでもバカでもわかる」「すべての人の心に届く叙情詩だ」と評価していた。そしてその詩を、陶器のお皿やコップに付けてヒット商品を生み出す。のち相田みつをグッズにつながるポエムビジネスである。

関連記事