『ジュラシック・ワールド/復活の大地』の“演出術”を紐解く スピルバーグの継承と逸脱

 『ジュラシック・パーク』シリーズの第7弾『ジュラシック・ワールド/復活の大地』(以下、復活の大地)が、どうやらそれほど評判が高くないらしい。筆者は、「少なくとも2015年から再始動した『ジュラシック・ワールド』シリーズのなかでは最高傑作!」と(勝手に)確信していたものだから、とても意外だった。

 レビューサイトのトマトメーターのスコアを見てみると、確かに一般からの評価はそれなりに高いものの、批評家の評価は決して芳しいものではない。

『ジュラシック・パーク』(1993年) 91%/91%
『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997年) 56%/52%
『ジュラシック・パークIII』(2001年) 49%/37%
『ジュラシック・ワールド』(2015年) 71%/78%
『ジュラシック・ワールド/炎の王国』(2018年) 47%/48%
『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』(2022年) 29%/77%
『ジュラシック・ワールド/復活の大地』(2025年) 51%/71%

※数字は2025年8月27日現在のトマトメーター(批評家の評価)/ポップコーンメーター(一般の評価)

 むしろこのリストで際立っているのは、スティーヴン・スピルバーグによる偉大な第1作『ジュラシック・パーク』が、批評家・一般ともに90%超えというスコアをマークしていることだ。確かにこの映画は、単なるエンターテインメント作品という枠を超え、映画史の転換点として位置付けられている。

 1993年当時、コンピュータ・グラフィックスはまだ黎明期にあった。映画表現としての活用は『アビス』(1989年)における水の触手や、『ターミネーター2』(1991年)の液体金属など部分的なものに限られ、完全な生物表現ーーそれも観客が実在感を持って受容できる恐竜のような巨大生命体の描写は、ほとんど前例がなかった。

 だからこそ、『ジュラシック・パーク』でグラントやサトラーたちがブラキオサウルスを見上げるショットは、単に「恐竜が出てきた」というスペクタクルの提示に留まらず、「観客自身が恐竜を見上げる」という体験に成り得たのである。それはCG映画が大きく前進した瞬間だった。

 だが視覚技術が成熟した現在、同じ演出を行っても当時ほどの衝撃は生じないだろう。『復活の大地』でも、ゾーラ(スカーレット・ヨハンソン)たちがティタノサウルスを見上げるというショットが挿入されているが、それは第1作の反復以上の意味を持ち得ていない。ここに、このシリーズの悲劇がある。物語のなかでヘンリー・ルーミス博士(ジョナサン・ベイリー)が口にする「誰も恐竜に興味ない」という一言は、観客の冷めた眼差しを代弁しているかのようだ。

 それでもなお、これだけの巨大IPへと成長したからには、物語は紡ぎ続けられなければならない。デルガド一家の父親ルーベン(マヌエル・ガルシア=ルルフォ)が、娘のボーイフレンドのザビエル(デヴィッド・ヤーコノ)に語りかける「人は悪くいうが、それに流されるな」というセリフは、そのままシリーズ存続に対する製作者たちの揺るぎない意志を示しているのかもしれない。

 『復活の大地』は、もはやこのシリーズに付きまとう興味の風化という現実を自虐的に抱え込んだ、ある種のメタ的自己言及に満ちた作品ともいえる。

“遅延”から“隠蔽”へ進化した恐怖演出

 『復活の大地』を監督したギャレス・エドワーズにとって、スピルバーグは幼少期のヒーローだった。そのようなバックグラウンドも手伝って、この映画にはスピルバーグへのオマージュが捧げられたイースターエッグ的ショットが横溢している。

 例えば、ゾーラが旧友のダンカン(マハーシャラ・アリ)に再会する場面。製薬会社のマーティン(ルパート・フレンド)の背中には、巨大な恐竜の歯形が飾られている。それは将来起こり得るかもしれない恐怖を予感させるとともに、『ジョーズ』(1975年)でクイント船長の部屋にサメの歯形が所狭しと飾られていたことを思い出させる。船先からモササウルスにサンプル弾を撃ち込むゾーラの姿は、同じく『ジョーズ』で樽をくぐり付けたモリを撃ち込むクイントと重なる。

 あるいは、いきなり翼竜ケツァルコアトルスが来襲したことで、せっかく採取したDNAサンプルがあっちにこっちに転がり、なかなか入手できない場面。これは、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)の解毒剤をなかなか手にできないドタバタ劇の明確な反復だろう。

 極めつけは、ゾーラが必死にロープを掴む中で、ヘンリー博士がDNAサンプルに手を伸ばそうとする場面。これは、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)のクライマックスで、インディとヘンリー父子が「手を掴むか、聖杯を掴むか」の究極の選択に直面する、あの象徴的瞬間を鮮やかに呼び起こす。『復活の大地』は単なる引用以上に、「スピルバーグ映画を継承するシリーズ」としての位置付けを意識的に提示している。

 だが、筆者がこの作品を推す最大の理由は、スピルバーグ・トリビュートに留まらず、むしろスピルバーグ・タッチとの差異化を試みている点だ。『ジョーズ』にせよ『ジュラシック・パーク』にせよ、スティーヴン・スピルバーグは「恐怖の対象をなかなか見せない」演出によって、観客の想像力を刺激し、ホラーとしての強度を高めていく。つまり彼は、決定的瞬間を先延ばしにする“遅延”のテクニックによって、恐怖を呼び起こす。

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