『舟を編む』は“100年先”の人々にも届く 高明希CPに10年越しのドラマ化への思いを聞く

 池田エライザ主演、野田洋次郎共演により、2024年にNHK-BSで放送されて高い評価を得た連続ドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』がNHK地上波で初放送され、ふたたび高い人気を得た。

 原作は2011年に刊行された直木賞受賞作家・三浦しをんの小説『舟を編む』。ドラマ版では主人公を、辞書編集部主任の馬締光也(野田洋次郎)から、部署異動によりやってきた岸辺みどり(池田エライザ)に引き継ぎ、辞書作りの誇りとやりがいを見出していく姿が共感を呼んだ。最終回の放送を前に企画者である制作統括の高明希プロデューサーに、本作に込めた思いを聞いた。(望月ふみ)

みんなが普遍的に悩みながら進んでいることを見つめられる物語

――『舟を編む』の実写化は2013年公開の映画版も知られていますが、ドラマ版の企画も映画公開前から上がっていたそうですね。

高明希(以下、高):三浦先生の原作に触れたのは刊行当初のことで、映画化の発表前から「やりたい」と手を挙げていました。私にとって生きる上で、仕事や他者との関わり合いなど、とても学びの多かった作品で、そのときの自分に、とてもマッチしていたんです。そこから10年以上経ち、『舟を編む』を読んで生きてきた10年と、読まなかった10年があったならと考えると、対人関係が全く違っていたのではないかと思います。自分の言葉が相手にどう伝わるのか、相手がどう受け止めるのかを深く考えることのできた10年でした。

――高プロデューサー自身が、『舟を編む』からの影響のもとに積み重ねてきた10年ちょっとがあってのドラマ化実現だったんですね。

高:はい。自分自身、“言葉”によって失敗した経験もありました。だからこそ、「『舟を編む』の連続ドラマをやりたい!」とガムシャラに手を挙げた20代のときとは、違うものの考え方、価値観をちゃんと持って取り組めると思えたタイミングでもあったと思います。同時にこの10年は、言葉の危うさがどんどん表面化してきたことの危惧を感じる時間でもありました。SNSも氷山の一角ですが、言葉で人を殺めてしまえるような怖い環境が加速しています。つまりは、いま他者とのコミュニケーションの問題が問いただされているのではないかと。『舟を編む』は、みんながずっと普遍的に悩みながら進んでいることを見つめられるのではないか。「この物語をもっとたくさんの人に届けたい」と改めて思いました。

――それも連ドラという形で。

高:原作は登場するいろんな人物、馬締や荒木さん(岩松了)はもちろん、西岡(向井理)や、ドラマの主役のみどりと、目線を変えながら綴っていて、辞書作りに携わる人たち、全員が主役の物語だと思っていたので。もちろん映画も素晴らしかったのですが、2時間では収まらなかったたくさんの人の思いの乗った、十数年間の厚みを連ドラという形で表現できたらと思いました。

――ドラマでは新型コロナウイルスについても描かれました。

高:企画が通ったのが2022年で、2023年に準備をして、2024年にBSでの放送になりました。このタイミングでやるべき意義があると感じたのは、コロナ禍もきっかけです。とはいえ、この物語はフィクションですし、コロナ禍で辛い思いをされた方がたくさんいらっしゃるので、新型コロナウイルスをそのまま登場させて正面から描くかどうかは、2022年の段階では考え中でした。三浦先生の信頼を得て、辞書編集部の取材をするなかで、たくさんの方のお話を聞かせていただいて、“クラスター”など、実際に辞書に入れるべきか協議をしたと知りました。

――取材に基づいているんですね。

高:最初に物語で描かれる時間の年表を作るところから始めたのですが、当初はコロナ禍は入れていませんでした。途中で、脚本家の蛭田直美さんに託すときに、いろいろ考えて、コロナ禍も踏まえた年表にして、取り組んでいただきました。

第1話ラストの馬締のセリフに「ゾクゾク!」

――原作はもちろん蛭田さんの脚本も、とても心に沁みました。

高:本当に素晴らしい脚本家さんです。実は、初稿の段階では、もう少し尖った感じの脚本だったんです。第1話から、みどりにもう少し共感性を持たせたスタートにしたいと思ったので、“なんて”というキーワードへのリクエストをしました。松本先生(柴田恭兵)が「言葉はあなたを褒めもしませんが、決して責めたりもしません」と言ったあとに、“なんて”が別の言い方でみどりを救えるようにしてほしいとオーダーしたんです。

――第1話の“なんて”のエピソードは、特に素晴らしかったです。

高:朝日を見て感じる「なんて奇麗な朝日」の“なんて”を、もっと違う感じでうまく形にしてほしいという私のオーダーから、蛭田さんは、第1話のラストの馬締の「なんて、なんて素敵な右でしょう」をひねり出してくれました。あのセリフを読んだとき、鳥肌が立ちました。ゾクゾクっとするというか、グッと高みに上がったというか。ああ、蛭田さんはこの物語の本質を分かっている、それを物語として最良の形で組み込むことのできる人だと。実際、言葉というのは、それ自体が悪いわけでもなんでもなく、使い方次第なんだということを集約してくれていた。私がこの原作をドラマにしたかった想いがちゃんと届いているという嬉しさがすごくありました。

――私も映画版が好きだったので、最初にドラマ化の話を聞いたとき、正直、不安もありました。でも第1話の“なんて”で「このあとも観たい」という興味と希望に変わりました。

高:映画が本当に素晴らしいので、イメージを壊したくないから観ないとか、そうした方がいる中で、1話だけでも観てもらったときに、これは見続ける価値があるんじゃないかと思ってもらえる何かが必要です。その点はすごく試行錯誤していたので、第1話でちゃんと心をつかんでくださった蛭田さんはさすがだと思いました。

関連記事