『べらぼう』矢本悠馬だから表現できた佐野政言の生々しさ 仄暗く“完璧”な第27回

 なぜ、あれほど穏やかだった男が刀を抜いたのか。NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第27回「願わくば花の下にて春死なん」で描かれた佐野政言(矢本悠馬)の変貌は、視聴者に大きな衝撃を与えた。田沼意知(宮沢氷魚)に向けられた刃、その瞬間に至るまでの作劇は、すべての場面が凶行へと収斂していく見事な構成だった。美しくも不吉な桜の花びらが舞い散る中、一人の男の破滅が静かに、しかし確実に準備されていた。

 矢本悠馬といえば一筋縄ではいかない個性的な役柄を演じ分けてきた俳優だ。今回の政言役でも、序盤は朴訥とした番士として登場しながら、第27回全体に漂う“仄暗さ”を、その佇まいだけで体現していた。

 第27回の構成の巧妙さは、冒頭からすでに始まっていた。松前家当主・松前道廣(えなりかずき)と弟の廣年(ひょうろく)、そして島津家当主・島津重豪(田中幸太朗)が一橋治済(生田斗真)を訪れ、幕府による蝦夷地の上知を止めてほしいと懇願する。田沼意次(渡辺謙)の権力拡大への野心と、それに対する諸大名の反発を描くことで、「反田沼」の機運が社会全体に広がっていることが暗示される。

 そして“耄碌した”政言の父・政豊(吉見一豊)が田沼屋敷を訪れ、かつて差し出した系図の返却を求めて声を荒げる。そんな父を退場させた後に、意知のことを一瞥する政言。その目に宿るのは、意知に対する疑いか、それともコンプレックスか。複雑な心境を滲ませる、言葉以上に雄弁な演技だった。

 この回の演出を担当した大嶋慧介は、佐野政言の感情について「意知を信じたい気持ちと、自分は陥れられているのかもしれないという疑いの気持ちの狭間で、彼はずっと揺れ動いていた」と語る。さらに「社会的に報われないむなしさや生きづらさ、田沼家に対するコンプレックスや嫉妬、父・政豊との関係性や現代のヤングケアラーのような重圧など、いろいろなことが重なってしまった」と、政言が追い詰められていく要因を並べている。(※)

 圧巻だったのは、父と共に桜の木の下に立つシーン。咲かない桜に向かって「なぜ咲かぬ!」と叫ぶ父の姿を見つめる政言の表情に、矢本は幾層もの感情を込めた。息子としての哀しみ、武士としての誇り、そして押し殺してきた怒り。そして政言は、泣きながら笑い「私が咲かせて見せましょう」と語るーーその言葉は父に向けられたものか、それとも自身の運命に向けられたものか。震える声で呟いた後、静かに刀の手入れを始める政言。思えばこのときから、矢本が浮かべる表情はそれまでとは全く別人のものに変化していた。

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