なにわ男子 長尾謙杜、“脱・学生役”で新境地 『俺ではない炎上』でさらなる飛躍へ
2025年、なにわ男子・長尾謙杜の名前を映画館で目にする年になるとは、数年前に予想できた人がいただろうか。アイドルとしての輝きはもちろん、俳優としての存在感を確実に積み重ねた結果、彼はこの年、わずか半年あまりで4本目の映画出演が決定した。
新たに発表された『俺ではない炎上』の出演は、単なるキャリアの積み重ねの先にある一歩ではない。これは、長尾謙杜という俳優が“学生役”という殻を脱ぎ捨て、新たなステージへ踏み出す象徴的な出来事だ。ネット社会を背景にした社会派サスペンスという骨太なテーマの中で、彼は“若手社会人”というこれまでにない立場を演じる。これが意味するのは、役柄の年齢を超えて、俳優としての可能性をもう一段引き上げる、挑戦の年の到達点となることは間違いないだろう。
そもそも、2025年の長尾は『室町無頼』『おいしくて泣くとき』『恋に至る病』という3作への出演が決まっていた。この3つの出演作は、ジャンルも、求められる演技も全く異なる。だが、そのいずれにおいても、彼は「長尾謙杜らしさ」に頼らず、役柄に必要な変貌を遂げることで作品を成立させてきた。
『室町無頼』では、アクション時代劇というジャンルで、長尾は役作りの段階から徹底して肉体を鍛えた。スタントを使わないことで知られる入江悠監督のもと、汗と土の匂いを感じさせるリアルな戦闘シーンは、ただ刀を振るだけの所作ではなく、生々しい説得力がそこに生まれていた。
続く『おいしくて泣くとき』は、打って変わって等身大の恋愛劇。長尾は主演として作品を背負いながら、失恋と再生を繊細に演じた後半の泣きの芝居は、観客の心を静かに揺さぶる。この相反する役柄への挑戦は長尾の演技力を世間に知らしめるには十分だった。
自殺教唆を主題にした斜線堂有紀の小説を映画化した『恋に至る病』では、彼は倫理的に危うくも純粋な青年役に挑んでいる。かつての“誠実な優等生”のイメージとは一線を画す、影をまとった演技。画面越しに伝わる狂気と、幼なじみを守ろうとする純真さの同居が求められるだけに、役者としての新たな挑戦になる。
そして、4本目となる『俺ではない炎上』では、SNSでの誹謗中傷、魔女狩りのように真偽を問わず誰かが炎上していく現代社会を中心に、長尾がこれまで演じてこなかった“会社員”という立場の青年が置かれる。本作で長尾が演じるのは、主人公が働く企業の取引先に勤める若手社員・青江という役だ。単なる“脇役の若手社員”で片付けられそうな立場だが、物語の核心にどこまで関わるのかはまだ伏せられている。予告編でわずかに映る、車の中から主人公を見つめる意味深な表情。その視線には、学生役では出せなかった大人びた表情をのぞかせている。それだけでもどんな表情を見せてくれるのか、楽しみだ。