テレビドラマに“舞台的”作劇は通用するのか? 『人事の人見』冨坂友の脚本術を読み解く
本作の脚本を手がけているのは、劇団「アガリスクエンターテイメント」の主宰である冨坂友。地上波の連続ドラマの脚本家としては、これが本格的なデビュー作となった気鋭の作家だ。そんな彼が主演の松田にヒアリングし、やがて生まれたのが主人公の人見廉である。人見の言動がいくら突飛なものであっても、すんなりと受け入れられるのは、やはり演じる松田本人に当て書きしたものだからなのだろう。この作品の中心に“松田元太=人見廉”が立っているのは必然だ。
冨坂が紡ぎ出すセリフの数々はユニークで、俳優たちが繰り広げる会話劇は小気味良いものだ。が、まったく違和感を抱かないわけでもない。会話劇は非常にテンポが良く、物語を前へ前へとスピーディーに進めていく。しかし、よくよく注目してみると、登場人物同士の“会話らしきもの”は成立していても、互いの意思疎通をはかる丁寧な“対話”が成立しているようには感じられない瞬間が多々ある。それはテレビドラマ作品として物語を描くうえでの写実性(リアリズム)と、まるで演劇作品のように飛び交うセリフの応酬から生まれる虚構性のズレによるものだと思う。リズミカルに、ときに勢いで押し切るタイプの演劇に馴染みのない人などからすれば、たしかに「ついていけない」と思ってしまうのかもしれない。だからそう、作品に向き合うにあたって大前提となる姿勢が重要になってくるのである。とはいえこれは、どんな作品に関しても言えることだが。
彼ら彼女らの世界におけるリアリティは、私たちのリアリティとは違う。私たち一人ひとりの日常生活におけるリアリティは、それぞれ異なっているはず。同じようなモチーフやテーマを扱った作品でも、世界(観)が異なれば、何がリアルなのかも当然ながら変わってくる。『人事の人見』の世界は、私たちの日常にあるものとは異なるテンポで息づいているのだ。これが本作の“スタイル”だと捉えれば、「ついていこう!」と思えるのではないだろうか。凝り固まった世間一般の常識に囚われない人見廉のキャラクターを、作品そのものが体現しているのだから。
古い熱血体質の残る大企業を舞台にした人間ドラマ。おバカでピュアすぎる主人公・人見廉と、会社を変えたいと願いながら日々奮闘する真野直己が、個性豊かな人事部の面々と共に会社の中で巻き起こる社員のさまざまな問題と向き合いながら、「現代人の悩み」に立ち向かっていく。
■放送情報
『人事の人見』
フジテレビ系にて、毎週火曜21:00~21:54放送
出演:松田元太(Travis Japan)、前田敦子、桜井日奈子、新納慎也、ヘイテツ、松本まりか、小野武彦、鈴木保奈美、小日向文世ほか
脚本:冨坂友
音楽:カワイヒデヒロ
主題歌:宮本浩次「Today -胸いっぱいの愛を-」(ユニバーサルシグマ)
演出:河野圭太、山内大典
編成企画:草ヶ谷大輔
企画・プロデュース:後藤博幸
プロデュース:橋本芙美、高橋眞智子
制作:フジテレビ
制作著作:共同テレビ
©︎フジテレビ
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