『なんで私が神説教』は教師ドラマの新機軸に? 広瀬アリスは“説教”とどう向き合うのか

 まず「いじめ」とされる出来事のうち最も深刻なものが「嫌々ショート動画に撮られる」というもので、ここに深刻さを見出すのは難しい。それに対して静は「“いじめ”と“いじり”に違いはない。いじられている本人が“いじめ”と感じたらそれは“いじめ”」なのだと紋切り型の「説教」を始めるが、「いじめ」の矮小さと説教の中身が典型的すぎることからあまりにも空虚に聞こえる。

 ただし、「いじめ」の深刻さが、側から見ている限りでは伝わらないのだとしたら、「“どんなに些細なことでも”やられている本人がいじめと感じたらそれはいじめ」だという主張は逆説的に強化される。本人にしかわからない(≒視聴者にすら伝わらない)痛みの描写だと考えるならば、この作品はむしろ誠実だ。

 そして終盤、静が「説教」中に発した言葉は、スマホのメモの読み上げにすぎなかったことが明かされる。やはりあの「説教」の説得力のなさはそれなりに意図的だろう。

 「説教中のセリフはカンペに過ぎない」ことを教師ものドラマで描くのは、あざといながら皮肉の効いたメタ演出だ。このようなカウンターがどのように機能するのかは今後の楽しみとしたい。

 もう一つ気になったのは、静がむしろ説教「される」側でもあることだ。家族ぐるみで付き合いのあった京子校長(木村佳乃)のツテで教師になった静だが、この京子から仕事に対する姿勢のことでしばしば説教を受ける。この作品では「いじめ」の描写が淡白だったのとは対照的に、静の独白・モノローグにはかなりの分量が割かれており、説教を受けたりミスを犯したりした静がブツブツ文句を言う姿がしばしば登場する。

 これは「教師もの」というより「お仕事もの」っぽい展開だ。「なし崩し的に始まったやりたくもない仕事」に向き合う人間の描写である。多くの(「全員」と言ってもいい)視聴者の共感を呼べるだろう。

 仕事の遂行の前では自身の経験値や就職動機は関係ない。そして静の場合は教師の仕事として生徒に「説教」をしなければならない。さながら、業務に矛盾を感じながらも部下に対して毅然とした指示を出さなければならない中間管理職の苦しみのようだ。

 主人公に「嫌々」教師をさせることでこの作品は「食い扶持をつなぐためだけにある職業」としての教師の姿を浮き彫りにする。今後、「仕事(義務)」としての教師像をどう描いていくのか次第では「意外な教訓」が見つかるかもしれない。

 説教の中身云々よりも、業務としての説教に静がどう向き合うのか。こちらのほうに期待が高まりつつ、第2話以降も見届けたい。

なんで私が神説教

『となりのナースエイド』『イップス』などのオークラが脚本を手掛ける、進学校を舞台とした完全オリジナル作品。他人と本音でぶつかり合えない大人たちに送る新たな学園ドラマ。初の教師役となる広瀬アリスが主演を務める。

■放送情報
『なんで私が神説教』
日本テレビ系にて、毎週土曜21:00〜放送
出演:広瀬アリス、渡辺翔太(Snow Man)、岡崎紗絵、野呂佳代、小手伸也、伊藤淳史、木村佳乃、堀内敬子
脚本:オークラ
演出:内田秀実、南雲聖一ほか
チーフプロデューサー:荻野哲弘
プロデューサー:藤森真実、白石香織(AX-ON)
音楽:横山克
制作協力:日テレアックスオン
©日本テレビ
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