ジョン・レノンはなぜ特別な存在になったのか みのミュージックが語る“知られざる素顔”

 ビートルズの結成から解散、そしてソロ活動までを網羅し、なかでもジョン・レノン&ポール・マッカートニーの作曲術にスポットを当てたドキュメンタリー4部作『ジョン・レノン&ポール・マッカートニー ソングブック(字幕版)』(以下、『ソングブック』)。そして、ジョンがオノ・ヨーコと別居し秘書のメイ・パンと暮らしていた、いわゆる“失われた週末”について、メイ・パンの視点からその“真相”に迫る映画『ジョン・レノン 失われた週末』(以下、『失われた週末』が、「ジョン・レノン:知られざる素顔」特集として、命日でもある12月8日よりWOWOWにて放送・配信される。さらに、これを記念して『ジョン・レノン 失われた週末』のWOWOWオリジナルTシャツも発売中だ。

 ビートルズを結成し、ポールと切磋琢磨しながらソングライティングの能力を向上させたジョン。彼の音楽的ルーツや創作におけるモチベーションはどこにあるのか。バンドを解散した後、ヨーコやメイ・パン、そして息子ジュリアンとどのように触れ合ってきたのか。それらを深く知る絶好の機会となるだろう。そこで今回、リアル・サウンド映画部では、ビートルマニアとしても知られる「みのミュージック」のみのに、作品を通じて再発見した「人間ジョン・レノン」の魅力について熱く語ってもらった。

『ソングブック』は「マニアックな視点のドキュメンタリー」

――ビートルズファンのみのさんにとって、ジョン・レノンはどんな存在ですか?

みの:いきなり難しい質問ですね(笑)。僕がビートルズに出会ったのは思春期に差し掛かる頃で、その時期はすごくジョンに心酔していました。特に、彼がビートルズの中で象徴していた反逆的な部分に強く惹かれたんですよね。感情移入してしまうというか。でも大人になるにつれ、ポールの分別あるところに共感していくようになっていきましたね。社会人としての目線で見ると、責任をちゃんと引き受けているポールに肩入れしてしまう(笑)。ジョンがいなければビートルズの爆発力や、文化的なアイコンとしてのカリスマ性は生まれなかったと今でも思っていますが。

――そういった異なる個性が共存していたところが、ビートルズの奇跡ともいえますよね。

みの:まさに。音楽的な部分でも、ポールの構築的な部分とジョンのアンチ理論的な部分が共存していたことが、ビートルズの魅力の一つ。もちろん、ジョージ・ハリスンの存在も大きかったのですが。

――『ソングブック』は、レノン=マッカートニーの作曲術に焦点を当てた4部作でした。ご覧になっていかがでしたか?

みの:この4部作は、1957年から1980年までのジョンとポールを追っているので、ビートルズの解散がちょうど物語の中間点になりますよね。そんなマニアックな視点のドキュメンタリーは珍しい(笑)。でも、ビートルズの入り口としてジョンとポールの2人が象徴的ですし、そこに焦点を当てていたところはすごく興味深かったです。

『ジョン・レノン&ポール・マッカートニー ソングブック 1957-1965(字幕版)』© Chrome Dreams Media Ltd.2007

――ビートルズの「正史」を網羅する、という意味ではやはり公式の『ザ・ビートルズ・アンソロジー』をまず観るべきだとは思います。メンバーそれぞれの証言や、ジョンの生前のインタビューも交えつつ、ビートルズの解散までをバランスよく取り上げていますからね。でも『ソングブック』は、クラウス・フォアマンや音楽評論家、演奏家など第三者の様々な視点から2人のソングライティングを深掘りしていて。そこが最大の魅力だと思いました。例えば「Michelle」や『アビー・ロード』に関して、それぞれ異なる見解を述べている。

みの:僕の見解では、ジョンはポールが「Michelle」を書いた時点で「負けた」と感じたんじゃないかと思っているんですよ。なので(「Michelle」に否定的な意見を持つ)ロバート・クリストガウの意見には全く賛同できなかったのですが(笑)、クラウスやインディカ・ギャラリーの関係者のように、実際に接点があった人たちの証言には説得力がありました。主観的だったり、断定的に意見を述べたりしているところも潔く、観ていて気持ちよかったですね。

『ジョン・レノン&ポール・マッカートニー ソングブック 1957-1965(字幕版)』© Chrome Dreams Media Ltd.2007

――「自分はこう思うけどな」みたいに、いろいろ考えながら鑑賞できるから楽しいですよね。『ソングブック』ではジョンとポールの作風や、バンド内における両者の力関係について深掘りされていましたが、みのさんはどう思いましたか?

みの:やっぱり、2人のパワーバランスが変化していく過程は改めて面白かったです。最初は明らかにジョンがリードしていて、ポールはギリギリ追いついたくらいのパワーバランスでしたよね。高卒ルーキーがプロの球をギリギリ打てるようになった、みたいな(笑)。

――年齢差も影響していたんでしょうか。でもポールが書いた「All My Loving」にはジョンも驚いたんじゃないかなと。

みの:そうなんですよ。ポールも時折すごい長打を放つんです……喩えが野球ばかりで恐縮です(笑)。でも基本的には、ビートルズはジョンのバンドですよね。本当の転機になったのは「Yesterday」だと思います。あの曲で「こいつ、ただものじゃないな」ってジョンも感じたはず。

――ジョンにとってポールという存在はずっと脅威で、だからこそ発奮していたところもあったのでしょうね。さらに、ボブ・ディランとの出会いもジョンに大きな影響を与えました。

みの:ジョンにとってディランはヒーロー的存在で、もちろんポールも影響を受けているのですが、ジョンはソロになってすぐ「God」でわざわざディランを「おたきあげ」しなきゃならないほど(※ジョンは『ジョンの魂』収録曲「God」で、〈俺はジマーマン(ディランの本名)を信じない〉〈俺はビートルズを信じない〉〈信じるのは俺。俺とヨーコだけ〉と歌い、過去と訣別しようとした)特別だったじゃないですか(笑)。特に歌詞の世界観において、ジョンが自分の「スローガン力」に気づいたのもディランとの出会いは大きかったと思います。「All You Need Is Love」や「Power To The People」「Give Peace A Chance」などワンフレーズで時代を切り取っちゃう力は、ジョンにとってポールに対する強力な武器になったのではないかと。結局ジョンはポールにずっと嫉妬していて(笑)、だからこそ彼を驚かせたい、喜ばせたいという気持ちで曲を作っていたんでしょうね。

『ジョン・レノン&ポール・マッカートニー ソングブック 1966-1970(字幕版)』© Chrome Dreams Media Ltd.2007

――僕は、『リボルバー』がジョンとポールが対等に競り合っていたピークだと思っているんです。その後ジョンはドラッグに溺れ、田舎に引っ込んで日常の広告やポスターのキャッチコピーから「Being for the Benefit of Mr. Kite!」や「Good Morning Good Morning」みたいな曲を作るようになるわけで。

みの:2人の才能が拮抗していたピークが『リボルバー』というのは僕も同意見ですね。その後の『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』はバンドとして絶頂期だったけど、ジョンにとってはちょっと端境期だったのかもしれない。もちろん、「Lucy in the Sky with Diamonds」や「I Am the Walrus」「All You Need Is Love」などの素晴らしい作品も生み出していますが。

――そこはポールやジョージ・マーティンのアレンジ力がサポートした部分も大きかったような気がしますね。ジョンのモチベーションが再び上昇するのは『ホワイトアルバム』(『ザ・ビートルズ』)の時期ですが、そこもオノ・ヨーコの影響は大きい。みのさんは、ヨーコに関してはどんな見解を持っていますか?

みの:ヨーコさんって、ジョンにとって巨大な盾のような存在だったと思うんです。ジョンはビートルズのリーダーで、60年代のアイコンでもあり、世界一有名な人でしたよね。そんな極限のプレッシャーから彼を守ってくれたのが彼女だったし、その役目を引き受けるだけのパワーを持っていた人だったんじゃないかなと。

『ジョン・レノン 失われた週末(字幕版)』© 2021 Lost Weekend, LLC All Rights Reserved

――ジョンにとって、ミューズのような存在だったのでしょうね。

みの:まさにミューズだったんだろうなと思います。

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