『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は“お疲れ様”な映画だ 伝わってくる制作陣の苦悩や混乱

 対して本作はコメディ要素を完全に排除している。物語はひたすら悲惨だ。前作以上にガリガリになったホアキン・フェニックス演じるアーサーが、アーカムで酷い扱いを受けつつ、初めて熱烈に迫ってきた女性のリーを相手に空回りを続け、世間が求める「ジョーカー」のイメージと、実際の自分とのギャップに苦しむ。アーサーは不幸な境遇に追い詰められてキレた優しい人であって、悪のカリスマたるジョーカーになれる器ではないのだ。そんな苦悩の日々の合間にミュージカルと法廷劇が挟まるのだが、楽しく歌い踊り、裁判が進んでも、アーサーの状況は悪化していくのみ……。しかも、そこに前作にあったような、ブラックコメディ的な意地悪な視点はなく、悲劇を悲劇のまま描いていく。こうした姿勢からは、すでに各所で言われている通り、前作が世界中に与えた負の影響を打ち消そうという作り手の意図が確かに見える。ジョーカーになった者の末路にシャレが入り込む余地なんてないのだ。ゆえにアーサーという不器用な人間の物語としては、きちんとオチをつけたと言えるだろう。

 しかし、ブラックコメディとしての視点を放棄し、いくつものメッセージを入れた結果、余裕がなくなってしまった印象も受ける。上記の視点の話で言えば、私は映画の中身以上に、隠しきれない監督の苦労にばかり目が行った。端的に言うと、気をまわし過ぎているのだ。大ヒット作の続編、法廷劇、ミュージカル、狂人同士の恋、心優しい青年の転落劇、監督自身の言いたいこと……などなど、全方位に目配せして様々なことをやった結果、コンパクトにまとまっていた前作に比べて、散漫になっているのは否めない。そして要素が多いゆえに、観客はどこをどう観るべきなのか、混乱してしまうだろう。この混乱ぶりに、私は、ジョーカーという巨大かつ複雑すぎる題材と格闘する監督の姿が透けて見えた。それはさながらジョーカーという存在に振り回される、アーサーのようだ。もっと身近な感じで表現すると、仕事を背負い過ぎて、あっぷあっぷになっている上司を見ているような気分である。頑張ったのは間違いないが、頑張りすぎでもある。予告にあった象徴的なシーンが本編にないなど、ギリギリまであれこれ考えたのだろうし。

 力作ではある。真面目に頑張ったのは間違いない。しかし、現実とは悲しいもの。頑張っても、上手くいくとは限らない。すべてが思うほど上手くはいかないみたいだ。「それをやっちゃおしまいよ」なこともたくさんあったし(最後は本当に禁じ手だ。一応のエクスキューズはあるが)、予告にあったシーンが本編にないなど、ギリギリまで悪戦苦闘したことは想像に難くない。気を遣いまくっているのが伝わる本編の内容も含めて、今年一番「お疲れ様でした」と言いたい映画である。

■公開情報
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
全国公開中
(日本語吹替版・字幕版同時上映 Dolby Cinema/ScreenX/4D/ULTRA 4DX/IMAX)
監督:トッド・フィリップス
出演:ホアキン・フェニックス、レディー・ガガ、ブレンダン・グリーソン、キャサリン・キーナー、ザジー・ビーツ
配給:ワーナー・ブラザース映画
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