エディ・マーフィが哀愁と幸福感を体現 『ビバリーヒルズ・コップ』30年ぶり新作の存在意義

 とはいっても、フォーリー役に復帰したエディ・マーフィは、いまや60代に突入し、共演している新相棒役のジョセフ・ゴードン=レヴィットと一緒に走るシーンでは、かなり辛そうに見えてしまう。だが、そんなところにめくじらを立てる観客は、おそらくいないだろう。

 今回、シリーズの企画が動き出したというのは、『トップガン マーヴェリック』(2022年)の予想を超えたヒットや、『ゴーストバスターズ』シリーズの新作などに代表されるように、ポップな80年代映画がヴィンテージとして捉えられ、時間の経過によって価値が熟成されるようになっていた状況を受けてのものだと考えられる。存在そのものがレジェンドであるエディ・マーフィが出演し、軽口を叩いてくれる。それだけで貴重だと思えるのだ。

 このように言えば、単に郷愁にひたるノスタルジックな作品だと感じるかもしれない。だが、1作目から長い期間を経た作品には、それ以上に、何か形容し難い雰囲気を醸し出していることも事実なのだ。それは、本作で初めてシリーズに触れる観客にも感じ取れるところなのではないか。

 第1作が公開された当時のエディ・マーフィは、まだ23歳で脅威の興行収入を生み出した、規格外の若手俳優だった。だが、どんなに天才的な俳優でも、歳とともに染み出してくる味までもインスタントに作り出すことはできない。俳優が生きてきた経験と、時代の変遷、周囲の状況の変化が、年代もののウィスキーが複雑でまろやかになってゆくように、味わう者の心を動かすような、豊かな変化を自然にもたらすのである。それは、ポール・ライザー、ジョン・アシュトン、ジャッジ・ラインホルド、ブロンソン・ピンチョットら、旧作からの出演者も同様だろう。

 そして、ラグジュアリーブランド店の前でSNS用の写真を撮る者や、ウーバーイーツ配達のロボットカートが道を走る、現在のロサンゼルスの光景のなかに、スタジアムジャンパーを着たアクセル・フォーリーがいるというだけで、そこに意味が発生してしまう。本作で真に楽しむべきポイントは、アクションでもなく、コメディ表現ですらもなく、まさしくこのような画面上に映るものが喚起する、われわれ観客が過ごしてきた、あるいは過ごしてこなかった時間の流れを感じる意識そのものなのではないか。

 そして、フォーリーの娘のジェーン(テイラー・ペイジ)が、手を引いて道を横断するシーンに象徴されるように、そこには人生を永く過ごしてきた者だけが放つ哀愁と、年齢なりの幸福感が、等身大のリアリテイを持って存在している。まさに、人生そのものを考えさせる表現だ。かと思えば負傷していたはずのフォーリーは、次のシーンでは昔の相棒たちと、馬鹿騒ぎに繰り出そうとしている。この軽薄さ、相手を油断させるようなテクニックこそ、アクセル・フォーリーの特技といえるものだ。時代が変わっても、身体が思うように動かなくなってきても、本質は何も変わっていない彼の姿が頼もしい。

 じつは、今回の映画化の10年以上前に、『ビバリーヒルズ・コップ』のTVシリーズが企画されたことがあったのだという。そこではアクセル・フォーリーが警察署長にまで出世して、彼の息子が活躍するといった内容になるはずだったというが、番組の制作までには至らなかった。企画が頓挫したことは残念ではあるが、その結果として、ほとんど以前と変わらないアクセル・フォーリーが今回見られたということになる。それもまた、シリーズが準じてきた“時代の要請”ということなのだ。この点で本作『ビバリーヒルズ・コップ:アクセル・フォーリー』は、正しくシリーズの最新作としての存在意義を獲得したと見て良いだろう。

■配信情報
Netflix映画『ビバリーヒルズ・コップ:アクセル・フォーリー』
Netflixにて独占配信中
Melinda Sue Gordon/Netflix © 2024

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